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因果な親を持ってしまった・・・

いろいろさらけ出しついでに、父親のことも紹介しておきます。

私の父親は中卒です。
まあ、これくらいは普通です。
私の父親の両肩には竜と般若の絵があります。
若いころの過ちだったのでしょう、しかし、それは消えることはありません。

しかし、幼かったころには、そんなことはあんまり関係ありませんでした。
何でもできる、いつも堂々としているかっこいい父親でした。
そして、毎月鞍馬寺に連れて行ってくれる信心深い父親でした。

しかし、私も家を出て結婚して、父も60を超えるころになると様子が違ってきました。

現場で喧嘩ばかりして仕事のお呼びが掛からなくなると、父はガードマンの仕事につきました。
しかし、現場仕事の時に散々ガードマンを馬鹿にしていた父は自分がその仕事にしか就けない不満を酒でごまかそうと
しました。
父はバイクで怪我をしてしばらく働けなくなりました。その間もやることも無く酒を浴び、ついには肝臓を悪くして、ガード
マンの仕事の声すら掛からなくなりました。

それまで、命を失うことすら怖くないと威勢の良いことを言っていた父は、肝硬変から癌になって死ぬ可能性を身近に
感じ、恐れおののいて酒をほとんど飲まなくなりました。

肝臓をやられて体力も無く、少し歩いては一日しんどいと言って寝ている父が次にしたことは・・・
差別でした。
母に言わせると元々自分だけが特別で差別意識が強い父だったようです。

しかし、それが現実に私の目の前に現れました。

それは、隣の家とのトラブルでした。
父はやることが無いとずっと家で寝ているのですが、隣の家が壁一枚で仕切られているだけなので、隣の音が気にな
るのだそうです。それがあまりにもひどかったと父は言うのですが、ある日、それを文句を言いに行きました。
単に、そのことで文句を言って喧嘩になるのなら私は放っておきます。
しかし、彼の言い分の中で出てきた言葉が、「あそこは母子家庭で国から補助をもらっている」とか「となりは中国人で、
子供の苗字もみんな違っていて何かおかしい」とか言い出したのです。
結局父は騒音にいらだっていたのではなく、自分の差別の対象が隣にいたことを良いことに、露骨に相手にいやな思
いをさせて喜んでいるのです。
私は父のしていることを諌めました。父がしているのは苦情にかこつけたただの差別だと。

彼は差別をするとはっきり言いました。そして、あんなやつら殺しても構わないとまで言いました。
しょせん父は極道になり切れなかった中途半端なやくざもんだったのでしょう。

父が差別をここまで露骨にする精神構造は、明らかに自分の現在の不遇をのろう気持ちが根底にあります。
自分より弱いものをいじめて、満たされぬ心を一時的にでも満たしたいという気持ちです。
それは、全く根拠の無い父の思い込みから出たものです。
しかし、それすら本当は自分がまいた種です。
そして、父はそれを自分で刈り取ろうとしません。
おそらく、彼の未来に光は無いでしょう。
今の状態が続けば、彼は自分の言葉を自分で受け止めねばならない日が必ずきます。
(実際には既に過去の自分が下げずんで見ていた人たちよりも腐った生活を彼はしています。そしてそのことにも気付
いているはずです。まだ、だれもそのことを言いはしませんが・・・)

彼が死んでからの彼の魂の世話は家督を継ぐ私の使命です。(継ぐべき財産など無いのですが・・・)
私は高校の時に自分の父の過去の経歴を恥じ、ひたすら隠そうとしました。そして、私、息子、孫の三代かけなければ
そのような過去の汚点を洗い流すことはできないと直感的に思っていました。

そして、このことが出てきてどうやら、当時の私の覚悟は本当になりそうだと思うようになりました。
おそらくレイキをもってしても、父が生きている間に彼の魂を救いきることは難しいです。
ですから、彼の死後にしっかりと彼のゆがんだ魂を癒すしかないと思っています。
そして、息子、孫が父がしてきた悪行の悪影響を受けないようにしていかねばならないと
思っています。

私が社会に貢献することに目が行くようになったのはある意味、この父のおかげかもしれません。
父の残した悪因縁を子孫に残さないために、私は社会に少しでも貢献をして解消していかねばならないのです。

そのおかげで私は塾の経営を始め、レイキティーチャーとなりました。

当然今の生活に私は納得し満足しています。
ですから、別に問題は無いのですが、人は知らず知らずにさまざまな因果の影響を受けて人生の選択を
せざるを得ないと言うことも身をもって感じる今日この頃です。

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