レイキセミナーの受講生の方からメールをいただきました。
その中に、感謝は難しいと書いてありました。
当然ここで言う感謝は、何かをしてもらったときの感謝のことではありません。
そう言うときに感謝の気持ちを持てるのはきわめて当たり前のことです。
そうでなく、五戒にある、
今日だけは
怒るな
心配すな
感謝して
業を励め
人に親切に
の感謝のことです。
自分が何かをする時に、感謝の気持ちを持って取り組むこと。
それがしてもらったことの御礼であれば感謝もできるでしょうけど、そう言う関係が目に見えないことに対して感謝
の気持ちを持って行うというのは、なかなか大変です。
感謝の対象が無いのに感謝をするということですから。
でも、そこに感謝の対象がないと感じるのは表面的にしか物を見ていない証拠です。
すべてが因果の法則の結果であり、因果の法則の結果我々がどこに向かって行くのかを感じたとき、話は変わっ
てきます。
なぜなら、目の前にある何気なくしていることがすべて因果の法則の結果、我々が学びを続けていく上で最善の教
材だということですから。
そんな素晴らしいプレゼントを頂いているのに感謝の気持ちが湧かないというのは、本来筋が通りません。
だから、愚痴が多い人、ネガティブな人は繰り返し嫌なことと出会うことになります。
それがありがたいものだと感じるようになるまで。
では、その感謝の対象とは何か?
因果の法則そのものであり、それがイメージしにくいのなら、その法則をつかさどる「神」ということになるのではない
でしょうか?
信仰のあるなしで、人の価値に差はありません。
しかし、こういう時に信仰をもっていたり、超自然的な存在を受け入れられる人は素直に感謝ができるのだと思いま
す。
レイキをしようなどと思う人なら、そう言う点では問題は無いと思いますが・・・
それでも、日常の中で地球の重力に思考まで縛られ、五感の範囲の中だけでの判断に限られた生き方をしている
と、そう言う存在があることを忘れてしまいがちです。
そう言う制約が実は幻であることを知ること、十分にコントロールできるようになることが、肉体を持って生まれてき
た理由のように思えます。
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