暇人の私は読書が趣味です。
それもあんまり難しくない本。
あんまり難しいと自分が馬鹿になった気がするのであんまり読みません。
で今は、ちょっと話題の小林正観さんの本を読んでいます。
そこに原子の話と言うのがありまして、要は原子と言う粒を良く見る?と粒の真中に各があって、その周りに核よりもず
っと小さな電子が回っているとか。
で、原子の粒の殻?(原子と回りの空間の境になるもの)と我々が思っていたものは、電子の回る軌道であって、我々
が考えるような実体のあるもの、つまり卵の殻のようなものではないと言うこと。
しかも、原子の粒の中にある核も電子も原子の粒の大きさに比べると殆どないに等しいくらいに小さいらしい。
と言うことは、私達の体や周りにあるものの大部分はただの空間、何もないものと言うことになります。
しかも、原始の中で一番大きな実体とも言える核ですら、更に突っ込んでみていくと、いろいろなもっと小さい粒の集ま
りのようで、実体が殆ど分からなくなっていくそうな・・・。
じゃあ、一体いつも「私」と言っているものって一体何?
「私」と「あなた」を隔てているものって何?
例えば、とことん極小の世界で、原子を構成する粒子の密度を測ってみた時、私の身体の中の空間にいる時、私とあ
なたの間の空間にいる時、あなたの中の空間にいる時、どれだけ密度に差が現れるのでしょうか・・・。
もしかすると「私」から「あなた」へと場所が移っていることに気が付かないくらいの差しかないのかも知れません。
じゃあ、「私」と言うのは何だろう?
肉眼レベルでははっきりと区別が出来ますが、電子顕微鏡レベルでは既にそれが誰なのかは、分かりません。さらに
神様?の眼のレベルで見たとき何となくのエネルギーの分布の密度が違うだけにしか見えないのかもしれません。
物質としての「私」がいるなんて言うのは実は幻なのかもしれません。
原子の殻が実は実体のないものなのにあたかもそれがあるように振舞うのは、そこに他のものが入って来れないよう
にする為の力が働いているからでしょう。それはエネルギーの働きに他ならないのと思うのですが、とすれば、原子と言 うのは実体のないエネルギーが何らかの理由・法則で集まって特定の性質を持つようになったものと言うことでしょう か。
そして、我々が「私」と思っている肉体も、その他の物体も実は何らかの理由や法則で集まったエネルギーそのものな
のではないでしょうか。
もしかすると、その理由と言うのが私達の「魂」なのかも知れない。
元々、昔の日本人は全てのものに魂があると受け止めていました。
そのようにエネルギーを集めてこの宇宙を物質的なものとして表現しようとしている「魂」の存在を知っていたから、その
ように受け止められたのではないでしょうか。
所詮現代科学では生命の必然性も、物質の必然性も見つける事は出来ません。
何故なら現象を見て考える後付け論だからです。
その程度の科学が証明できないものだから受け入れられない、と言うなら、本来なら自分の存在も否定しないといけな
くなるはずです。
それなのに自分の存在は否定できない。
つまりは人間は自分の都合で、現実をゆがめてみる天才だということです。
考え出すと分からないことだらけではありますが、そんなふうに思えるから私はレイキヒーリングと言うものもやっていら
れるのだと思います。
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