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「今日だけは怒るな」
この言葉を実践できるだけでも人生は穏やかになります。
しかし、そうすればよいからしてみなさいと言って、できるものなら誰も苦労しません。
出来ないのは、何故それが良いのかが分からないからです。
理屈抜きにできる人は、幸運です。
そう言う私も、理屈抜きにはできないタイプの人間です。
そして、ある日妻の無責任とも言える失敗を発端に感情が爆発しました。
あまりにも感情が尾を引いてしまい、一人になって過ごしていたのですが、その中で五戒が頭に浮かんできました。
何で私は怒っているんだろう?
怒ってもやり直しは出来ない。
もうしょうがない。
そう思っていたら、多少は気持ちが楽になります。
しかし、何か心にしこりが残ります。
それが気持ち悪くて、妻のことを思い出すと、もやもやします。
しょうがないと諦めて、今に専念すると言う考えだけでは、処理できないことがあるんだな・・・・。
何か理解が足りない・・・。
そして、ふと思い出したこと。
「感謝して 業に励め・・・」
今目の前に起こることに、感謝して専念するってか?
・・・・・・・・・・
ああ、そうか、そうか。
以下その時に、「怒るな・・・」について、再考したことです。
1 怒りは過去への執着を意味し、今を生きることの妨げになる。それは業を励むことの邪魔である。
2 怒りとは、思い通りにならないことや自分に対して不都合なことが起こったときに湧き上がる感情。それは全てが自
分の思い通りにコントロールできると言う思い込みから繰るもの。
全てが自分のコントロール外のものであるなら、人に出来る事は受け入れるのみ。
そこには怒りの感情が産まれようがない。
怒りの感情が産まれるのは、自分が全てをコントロールすれば、そうはならないと言う思いがあるから。
そして、それは目の前に起こることがどう言う縁を持って起こっているかを理解していないことでもある。
目の前で起こることは必然であると言う人もいるが、それは全てが因果の法則によって生み出される自分の業であるこ
とを意味する。
その業を消化することで、魂の学びが進む。
それらは神の意志によって、厳密な因果の法則の結果もたらされたものである以上、受け入れそれに専念して対応す
ることが、最善の方法であるのは間違いない。
しかも怒りながらではなく、嫌々でもなく、神から与えられた成長への最短ルートであることを理解していれば、どのよう
なことに対しても怒りようはなくなってくる。
神と自分との関係の存在を忘れた時、人は感謝以外の感情に踊らされることになる。
五戒は、ひたすら今を生きることを奨めるだけではなく、そこに神の介在があることに、気付きなさいといっているように
思われる。
・・・・・・
そうです。
五戒はこうすれば幸せになれるよと言っているだけではなかったのです。
五戒は全ての出来事はご縁と因果の法則の結果に起こることだから、喜んでそれをこなしていけば、次に起こる事は
嬉しいことしかないんだよと教えてくれているのです。
精神世界のルールは分かっているつもりだったのに、何故か五戒とは分けていた部分がありました。
トラブルや喧嘩も神様からの気付きのプレゼントです。
謙虚に思い上がることなく受け止められれば、新たな発見がそこにはあります。
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