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レイキヒーラー短命説は反響がありました~。
中にはそれが元でレイキから離れた人、レイキの使う場所に気を使う人が出てきたかもしれません。
確かに、ヒーリングしていて自分の命が短くなっていては意味がないと思われるのも当然でしょう。
しかし、それでもヒーリングをする人がいるのは何故でしょう?
決して自己犠牲を尊ぶ人がたくさんいると言うわけではないはずです。
本物のヒーラーは「犠牲」など考えているはずありません。
ヒーリングをしていると相手の不調なところなどが自分の体に反応として現れることがあります。
相手も隠れていた不調が表面化することがあります。
すると、受けた人はヒーリングしたらかえって悪くなった。
初心者のヒーラーは邪気をもらったと不安になることがあるようです。
確かに不快感は嫌なものですね。
しかし、受け手の反応は病が改善する過程の普通の反応が起こっただけのことです。
ヒーラーの反応は、自分の心や体に潜んでいたものがヒーリングを通して顕在化しただけのことです。
レイキヒーリングをしている時、レイキはヒーラーを通して受け手に伝わるのですから、これらの反応が出るのはヒーラ
ー、受け手両方が癒されていることを意味しています。
癒しとは単に不快を取り除くと言うことではありません。より自然な状態に近づくための後押しをすることです。
症状が表に出るのは、きちんと受け手もヒーラーもその不調を受け入れないといけないからです。
症状を通して、心のあり方の反省をし、生活のあり方を見直すきっかけを得ているのです。
これを邪気を受けたの、命が短くなるのと恐れるのはもったいない話だと思いませんか?
この辺りのことが理解できてくると、ヒーラーが受け手に感謝を求めたり、「してあげる」と言うような気持ちを持つことが
減ってきます。
なぜなら、ヒーラー自身が受け手へのヒーリングを通して自分自身をヒーリングすることになるのですから。また、自分
の不備なところに気付かせてもらえるのですから。
そのことに気付けば、ヒーリングは自然と「させてもらう」「させていただく」ものになってきます。
感謝もしてもらうものではなく、こちらからしたくなるものになるはずです。
充実したヒーリングは、受け手とヒーラーの相互の感謝の交換の中で成立するものなんじゃないかと思う今日この頃で
す。
こんな気持ちにいたりながら、ヒーリングをすると短命になるとか気にする人はいません。
正しい気持ちでとことんやり抜けば、感謝の中で遅かれ早かれお迎えがくるだけのことになるとしか思わないようになる
でしょう。
そしてこれが私にとって、良いヒーラーかどうかの判断基準でもあるのですね。
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