レイキは宗教を変えなくても大丈夫?

時々、自分の宗教を真剣に信仰しながらもレイキもしたいと言う方からご質問を受けます。

結論から言えば、ご自身の信仰は信仰。レイキはあくまでヒーリングテクニックと割り切ればい
いです。

しかし、レイキの発祥は日本であり、日本人の精神の根底には神道の考えが根付いていま
す。
その為、完全に宗教色を排除しているのかと言われれば、それはあり得ないと言わざるを得ま
せん。

ただ、神道がいわゆる4大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教)とは性質の違う宗
教であることも事実であり、それは風俗、文化に近いものとも言えますので、そう思える方から
すれば、レイキは99パーセント宗教色の無いものと言えないこともありません。
(しかし、レイキの原理としてレイキの源と言う私たちよりも高次元の存在を想定し、我々はそ
の存在に導かれていると考えるのは、神と信者の関係と受け取る人もいるかも知れません
が、レイキにおいてはそのレイキの源をご自身の信じる神に置き換えても同じ効果が得られま
す。また、アチューンメントの儀式にある種の宗教臭さを感じる人もいます。)

のこる1パーセントは、臼井先生が修行をされた鞍馬山が元々天台宗のお寺であり、また、シ
ンボルの中に梵字をモチーフにしていると思われるものがあったりしますので、100パーセント
宗教の影響を受けていないと言うことは私には出来ません。

ただし、そう言うものであっても西洋において敬虔なクリスチャンが普通にレイキを実践しなが
らも、その為に何らかの神罰を受けたと言う話は聞きませんので、宗教的な意味は既に無いも
のと考えても良いのかも知れません。

また、レイキの精神と言うものは宗教の教義とは違いますので、一つのものの考え方と言う程
度の受け止め方でいいものです。

ただし、レイキを本当に理解していくにはスピリチュアリズム(精神世界)的なものの見え方が
不可欠であることも事実です。

それは因果応報のルールでしかありませんが、そう言う目に見えないところでも、さまざまな力
が働き、目に見える形でそれが反映されると言うことを受け入れることができることは不可欠な
ものの受け止め方とも言えます。


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