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無神論者

私の塾の講師に無神論者の人がいます。
別に、それ自体は問題ではなく、むしろ、何でもかんでも、オカルトに頼らない分健全ではあるのですが、何か彼の言っ
てることには何か説得力が無い。
彼は単に、見たことが無いから信じない、というのです。
この世の成り立ちもすべて確率的な問題でたまたまのことだと言うのです。
もしかしたら、そうかもしれません。

しかし、すっきりしない。
彼は、死んだらどうなるのか、という問いに対して、分からないと言うのです。
幽霊は見たことないから信じないと言いながら・・・。
彼の心の奥に、死んだら全くの無になることに対する恐れを読み取れました。
しかし、彼は人生と言う授業を受けながら、その後どうなるかについて考えようとはしません。
まるで、受験のために勉強し、大人になったら何になるのかを考えない学生のように・・・

話を少し変えてみました。
人格を持つ神の存在はないとして、つまりはこの世の成り立ちは神の人間の持つような意思の結果ではないとして、普
遍的な法則は存在するかどうかについて聞いてみました。
彼は合理主義者で、科学的に事柄を一般化して考えることには抵抗が無いらしいです。
すると、教科書に載っているような一般化されたモデルや公式が自然界には当てはまることは受け入れていました(当
たり前ですが・・・)。しかし、教科書には載っていない、何故そんな法則が現れるのか?例えば質量をもつ物質には何
故重力が発生し、他の物質と惹かれあうのか、その力の根源は何なのか?また、その正体が分かったとして、その正
体の大元は何なのかと言うように考えていったときに、とことんまで答えきれると思うかどうかを尋ねてみました。
そこで、彼が言ったことは、そんなことについては考えたこともないし、考えられない。もし、考えたとしても何の役にも立
たないので無意味、という答えでした。

無神論者の人でも、多くの場合、人格神を否定しても普遍的な法則の存在はありそうだと予感している人が多いと思い
ます。
それは、思考の中でさまざまなケースを想定して思いを巡らし切った結果として、そうなったり、科学的な立場でとことん
まで観察を進めていった結果、そう言わざるを得なくなるのです。
そして、中にはそれを神と呼び、人格あるものと認めるようになる人もあります。

しかし、彼のように思考を放棄しているのに、神はいない、ではすっきりしないのも当然です。
今現在このタイプの人が増えているように思えてなりません。
学校で言えば、社会や理科に興味を持てない人たちです。
自分の外に興味が行かなければ、神も普遍的な法則も感じることがなかなか出来ません。
ただ、孤独に刹那的に目の前のことにしがみつく生き方しか出来なくなるのではないでしょうか?

今この瞬間を精一杯生きると言う意味では、表面的には彼は問題ありません。
私なども、何かをするときにいちいち神様のことなど考えずに、目の前のことにひたすら集中します。どの宗教でもそれ
は同じだと思います。
二つのことを同時に処理が出来ない以上、日常は生活のための所作に没頭するのが人としての本筋です。

しかし、何も考えず、来た球をひたすら打ち返すだけの、打撃練習ではいつまでも二流の選手であるように、今抱いた
欲望や目の前で起こることに対処するだけの人生では、人間と言う名前の機械になってしまうように思います。

中途半端に合理主義を信望するとそうなってしまうのかもしれません。

別に神様がいようがいまいが、人生に意味があろうが無かろうが構わないのですが、それこそ何だか意味の無いこと
のように思われました。

多分、このページ来られる方の多くが、無神論者ではないのだと思いますが、どうでしょう?


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