精神世界やエネルギーワークに脚を突っ込んでいると、この二つの言葉に良く出会います。
レイキを始める人の中にも、悟りたい、覚醒したいと言う動機で始める人は少なくありません。
では、その悟りや覚醒って何でしょう?
よく「悟りの境地」などと言うことがありますが、悟りとは「理解し受け入れた状態」、と言うことになるでしょうか。
それは何に対してかと言えば、「自分が直面していることに対して」、と言うことになると思います。
仏教では、お釈迦様が、「生きるとは何か?人生の苦しみを無くすにはどうすれば良いのか?」と言うことについて思い
を巡らせ、たどり着いた理解とそれを心静かに受け入れた状態を、「悟りの境地」としているのだと思いますが、それは お釈迦様が直面していた一番大きな問題が、それだったと言うことでしょう。
ですから、我々凡人も小さな悟りは日々経験しているはずです。
しかし、我々の直面する問題は非常に小さなもので、それに対して理解し受け入れることがあったとしても、日常のほ
かの場面についての理解には繋がらないために、一瞬の心の平安の後にすぐさま混乱の中に叩き落されることになる のでしょう。
その理由は我々が問題として、思いを巡らせる対象が非常に個人的で些細なものであるために、もっと大きな問題に
器ごと振り回されているからではないでしょうか?
確かに日々目の前にあることに専念することは一番大切なことです。
しかし、それは日々の雑事に追われ続けるのとは意味が違うのではないでしょうか?
悟りの境地とは、日々の雑事、問題の由来がどこにあるのかを理解し、時々刻々新たな業が生まれる様子を見つめ
て、その業を解消しながら、新たな業が生まれないように生きていこうとしている状態とも言えます。
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