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朝5時に起きて出発して一発目は日本一の長さの谷瀬のつり橋(約300m)。
残念ながら私は高所恐怖症です。
歩き始めて5メートルで不覚にも立ち止まってしまいました。
立ち止まるとバランスをとるために余計に体が揺れます。
その瞬間、頭の中では後何分この恐怖が続くのかの計算が始まりました・・・
い、いかん。この調子では10分はこの揺れの中にいなくてはならない・・・
すると後ろから天の助けの言葉。
「吊り橋は立ち止まると怖いねん。止まらんと歩いていたら大丈夫や」。
嘘かどうか分からないながら、その声を信じて歩き出した私。
それでも下を見ると、中に浮いているような感覚に・・・
駄目だぁ〜。
冷や汗たらしてひたすら目線を水平にゴールを目指して歩く私。
一歩一歩をしっかりと踏みしめて前に進む私。
そ、そうかこれは五戒の精神の復習ではないか。
起こりもしない不安に足をすくめているのではなく、ひたすら今に集中する。
そして、やるべきことをこなしていくのは、この吊り橋を渡ることと同じでは
ないのか!
開眼した私にはもはや吊り橋は敵ではありませんでした。 |
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熊野本宮大社です。
ここは立派は立派なのですが。
ん〜・・・。
明治の時に大水害で全てが流された後、遷されたこの場にはまだしっかりと
根付いていないように思えるのでした・・・。
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大斎原(おおゆのはら)
ここに本来は神様はいらっしゃいました。
来たら分かります。
こちらの方が本来のあるべき場所だと。
現在の地は人の都合で持っていかれた場所なんですね。
社の跡でしばらく簡単な気功法を楽しみました。 |
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新宮まで下りてくると熊野速玉社。
このあと、裏を流れる熊野川で水遊びをしようと車を河川敷に乗り入れた
ところ悲劇が待っていました・・・
タイヤが砂に埋もれて動かない・・・
紐で引っ張ったり、タイヤの前を掘ってみたり、レジャーシートを引いてみたり・・・
思いつくことをやって見たものの・・・
途方にくれていると、そばで遊んでいた一団が力を貸してくれました。
4人で押しながらアクセルと踏むと見事車は動き出しました。
この方々に感謝感激でした。
そして、車の中で思いました。
これはアンラッキーなのではなく、ラッキーな出来事だったと。
私は、すごく大切なことを再認識できたからです。
それは、私は私の体だけの存在では無いと言うことです。
毎日のトイレ掃除では自分の「我」を流します。
「我」を流すとどうなるか?
それは自他の境界線がなくなるのです。
つまり、自分のことをするのに自分の体だけでする必要がなくなります。
自分以外の人も自分の一部だからです。
当然その反対もあります。
我々の魂はそれぞれの物理的な体を共有しあってこの次元での生活をしていく
ことで、調和の意味を学ぶのではないかと思った瞬間でした。 |
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二日目。那智大社。
この日は試練の日でした。
私は五戒の教えを破り、一日中かりかりと怒っていました。
子供達のちょっとした粗相や気まぐれが癇に障るのです。
自分でもおかしいことに気付きました。
なんなんだ〜。
しかし、怒りが怒りを呼ぶのが止まりません。
子供達は一日中ことあるごとに泣いていました・・・
そのうち、昔の鬱のころのような感覚がやってきました。
やばいぞ、これは・・・
なぜ、怒りが込み上げてくるのかは自分でもわかっています。
人をコントロールしようとしているからです。
自分の感情の変化をずっとモニターしていました。
怒っている時、相手をコントロールしようとしている自分がいる。
鬱的な感覚のとき、どうしようもない自分の感情の動きを嘆いている自分がいる。
これらの自分の感情を留めようとしたり抑えようとすると、別の形で噴出してきそ
うなのが怖く、ひたすら観察を続けました。
そして、この状態は次の日も続き、旅行から帰った次の日の夕方に自分の心の状
態がコントロールできるようになりました。
この間中、私の中ではあらゆる葛藤が渦巻いていました。
レイキティーチャーとしての存在も危ぶまれるくらいの葛藤でした・・・ |
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那智の滝。
子供への怒りが収まらないままでの参拝です。
これは神様へ失礼極まりないと思いながらも、滝の方へ。
目の前には、想像を上回る美しさの滝が・・・
と言いたいのですが、それどころではなく、とにかく後で検証する為に写真をとる私
でした。 |
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この日の空はもっと明るく雲は少なかったはずなんですが・・・
滝の上の雲の形が観音様に見えるのは私だけでしょうか・・・
何せ那智大社のお隣の青岸渡寺のご本尊は観音様ですから〜
家に帰ってこの写真を見た時に、「あ〜、自分は修行をさせていただいていたん
だ」と悟りました。
要領の悪い私は家族にたくさんの迷惑をかけながら学ばせて頂いています。 |
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那智大社の次に那智海水浴場へ。
子供達にとってのお目当てはこれと次の日の鯨博物館でした。
しかし、遠くの波を見ていた私は、「あれ?何で荒れているんだろ?」。
そうです、台風が近づいてきていたのでした・・・
そんなことはお構いなしに砂浜で遊ぶ子供達。
しかし、彼らは私と同じで波打つ水が怖いのです。
水が膝までしか来ないところでちゃぷちゃぷするだけでした。
この晩、台風の影響で風が強い中、花火を楽しみました。
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3日目。太地町。鯨の博物館。
すぐ横は強風に大荒れの海。
イルカとアシカのショーはアシカの簡単なショーだけとなりました。
時間とともに風が強くなり、波が荒れて来たために、私の中では一秒でも早く帰り
たかったのですが、子供はそう言う事情はお構い無しでした。
そして、12時過ぎにようやく子供達も満足して帰途につくことができました・・・。 |
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玉置神社。熊野三社の奥の院とも言われる、気軽な観光では決して来れないところ
にある神社です。
ぜひ参りたかった神社でしたが、今回の旅行では時間的な問題と、家族の楽しみの
バランスから予定からはずしていました。
ところが、途中で妻と車の運転を代わってもらって寝ていると、見知らぬ山道を走って
いるではないですか。
聞くと思ったより早く来たからよって見ようと思ったとのこと。
普段絶対にそんなこと言わない人なんですが・・・。
鳥居をくぐり、そこから10分少しの道のりを歩くと現れました。
近辺には民家も何も無いところに立派な鳥居と社です。
派手さはありませんが、重みのあるそれは熊野三社の奥の院と呼ぶにふさわしい空
気に満ちた神社です。
少し休憩して気持ちを落ち着けて摂社に参ると、その裏から「きぇ〜っ!」と奇声が響
きます。禊をされているのでしょうか、それともいつものお勤めがこの調子なのでしょう
か・・・
どちらにしても、普段の神社参拝では味わえない空気がそこにはありました。
帰り道、あれほど気にしていた台風は追ってきていません。
まったく風も雨もありません。
次の日、台風は東よりに進路を変えていました。
私は思いました。
あの台風で、この神社に導いてくださったのではないか?
予定通り鯨の博物館で時間を過ごしていたら、絶対にここによることはありませんでし
た。
あの台風が近づいてきていたからこそ、早めに出発ができた為にこの地にたどり着け
たのだと。
そして、熊野詣は三社をめぐり奥の院でしめることができました。
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おまけ
車からとった夕焼け空。
雲が龍の乱舞に見えるのは私の思い込みですね〜
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旅行翌日。
夕方まで私の心は鬱的な状態でした。
しかし、夕食時、長男がご飯をひっくり返した時に、私は今までに無い対応をしていまし
た。それは、怒りが上がってきたと同時に、「俺は人をコントロールしようとしている」と
自覚ができたのです。それで感情が収まったわけではありません。しかし、冷静に長男
に何をするべきかを指示することができました。
すると、今まで取り付いていたものがすっと落ちていくかのように、気持ちが軽くなってい
ました。
いつもと同じ自分に戻っていたのです。
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