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死刑制度を考えるへの天の声への言い訳
死刑制度を考えるへの天の声への言い訳

メールやり取りの全文と私の感想

レイキヒーラー死刑制度を考える

ミクシーのコミュニティ内で死刑制度についてスピリチュアルにどう考えるか質問をされているトピックに激しく書き込み
がされていました。皆さん興味のある話題なんですね。

そこでカルマの法則についての言及もあり、私も参入して見ました。その時の私の意見です。私の考えを知る上で参考
になれば幸いです。

この記事の続きとメールのやり取り全文も是非ご覧下さい。
死刑制度とは無関係の内容ですが、精神世界の受け取り方の参考にはなるかと思います。
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カルマの法則を理解させて死刑制度を廃止させる運動にまで高めるのは、我々が生きている間には
期待できないでしょう。

それよりも、単純に「人に人の命を奪う決定を下す権利は天がひっくり返っても与えられようはずが
無い」と言って、死刑制度に代わる対案を提示することの方が現実的だと思います。

どれだけ負のカルマを生産しようが、カルマの法則を理解する人なら、本来何ら心配する事はありま
せん。

一人一人がその法則を理解し、カルマを清算していくまで時間無制限で生まれ変わりを繰り返しま
す。
そう言う点では、宇宙の法則は全員平等にゴールに到達するまで待っていてくれます。

現世的なものの見方で、他の人の行いに足を引っ張られて迷惑と思っている方もあるとは思います
が・・・。

ちなみに私は死刑制度肯定派というよりは、容認派です。
肯定と容認は違うと言うことをご理解いただけると幸いです。

私は「やれ、やれ〜」と言うのではなく、「そう言うのも止むを得ないのかな・・・」と言う立場なの
で・・・。

これは、ゲームの理論的な考え方です。
要は最小限のカルマや悲劇で押さえるには?と言う発想でしかありません。
とにかく誰かが誰かを殺したりそれに相当する行いをすれば、そこに負のカルマが発生するもので
す。

では、それを最小限に押さえるにはどうするか?
誰かがそのカルマを負うこと(負のカルマを作りつづける人を消してしまうこと)で押さえられるならそ
そうするしかないのです。

どちらにしろ、こう言う制度のもとそう言う仕事を選んだり行為をせざるを得ない人自体、それを学び
のきっかけとするために産まれてきたとも言えます。

そう言うことをする定めに生まれてきた人たちが、何故そうなったのかを学べば、学んだ人が増える
分だけ死に関わる魂は減っていくことでしょう。

正しい間違っていると言う議論は精神世界では無意味です。
対立概念がある時それは、右か左かと言うのと同じ程度の意味しかありません。

正しい間違えていると言うのは多くの場合、道徳などの潜在的に刷り込まれた社会規範に則って、
快不快で物を捕らえている時に出てくる発想でしかありません。

本当にカルマの法則に目覚めているなら、身内が死刑になったとしても、それに相当する罪をしてい
るなら、それを機会にその人の魂が学べるように導いていこうとするでしょう。
それこそ因果応報と言ってのけられるはずです。

そう言う点では○○様の仰ることは限定的には間違いと言えます。単にかわいそうだからとか、残さ
れる人がつらいからという理由で死刑反対では、カルマの解消にはつながりません。

スピリチュアルの人にとっては、元々死ぬこと自体は悲劇でもなんでもないのですから。
悲劇は学びの機会を失うことそのものにあるのです。
(注:決して死ぬことに感情が揺れないと言うことではありません。私も人並みに大切な人の死を思
うと胸が痛いですので・・・)

そして、生きていくために必要な行動は宇宙の命令によるものと言う考えはご都合主義です。
生命はいつでも殺生と言うカルマを背負い、そのカルマを清算する為に学びつづけることが運命付
けられているものです。

だから、ご飯を食べる時にも、そのご飯ができる過程で命を落とした生命のことを思い、感謝の気持
ちを持って礼拝をしたり、「頂きます」と言葉にするのです。

いつでも人は、何らかの行動をせざるを得ない状況に導かれ、その行為をすることでその時の最大
の学びのチャンスを得ます。

当然,その前に魂が何かに気付き学ぶことができればその行為をさけることはできるでしょう。

カルマの法則と言うのは魂の学びの補習課題を決定する為のルールでしかないからです。
学び終わったことは基本的には、もうすることはありません。
ときどき、せっかく学んだことを忘れて復習を余儀なくされる魂もあるようですが・・・。

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以上、レイキティーチャーとしてはらしからぬ発言かとは思いますが、現実に根ざして生きていく上での私の死刑制度に
まつわる私の思いです。

しかし、ここで書き忘れましたが、人には人を裁く権利は神からも与えられることはありません。
それは裁くのではなく、自分達の身を守るための止むを得ない自衛行為です。(殴りかけようとする人がいればその人
の腕をつかむのと同じだと言うことです。)

決してやられた分をやり返すような、感情に基づく行為でもありません。

刑法は負のカルマの連鎖を防ぐための行為の一つだと私は理解しています。

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