レイキしま書 レイキ体験談 レイキメルマガマックナンバー レイキQ&A
今回のやり取りのメール全文です
今回のやり取りのメール全文です

死刑制度を考えるへの天の声への言い訳

かなり主旨からずれていきますが、この記事について、メールをいただきました。
その内容の核心は「、「〜を理解しているならば、〜である。」というような、発言が(中村さんにそんな意図が無いのは
分かっていますが)我こそは正しい的な姿勢に見えてしまっていることに引っ掛かりを感じているのだと思います。」
と言う部分だと受け取っていますが、この方の受け止め方はある意味正しいです。

何故なら、私はこのHPを通じて今の自分はこう言う考え方で行動をしていると言うことを示しています。それは、本当の
意味での真理であるかどうかは分かりませんが、私の中の「今のところの真理」であるものを示し、このHPの読者の方
に私と言う存在を、しばらくの間の精神世界のガイドとして採用するかどうかの判断材料を示す為です。

ですので、この記事を見た方が私の態度や考え方に違和感を覚えたなら、私をガイドにするのを辞めてくださればいい
のです。

また、私の述べることの中に理屈に合わないもの、明らかな真理に合わないものがある時はその事を問いただして頂
ければ嬉しく思っています

そう言うことを伝えたく思い、その方に次のようなメールを返しました。
これは、先の記事を見て、同じようなことを感じながらも、まだこのHPをご覧になっていただける方へのメッセージでも
あります。

_________________________________________
(上のようなことを書いていたのに対して)
まあ、それはそれでいいと思います。
あえてこれをHP載せたのはそう言うのも含めて私はこう言う人間ですと言うのを少しでも伝える為です。

もし、他の方が○○様と同じように思われ、私のHPを避けたり、逆に気に入られたりするならどちらにしても私の思惑
通りと言うことです。

言語レベルの問題と仰いましたが、そこには言外の情報があります。
ですので、○○様がそう思われたとすれば、それが正しいわけでして、それは○○様の心の中で起こっている私との間
での摩擦があることを意味します

われこそは正しい、と言うのは確かにありますよ。
それは、私の経験内・思考内でと言うことです。
ですので、これからも経験次第でどんどん言うことは変わっていくことでしょう。

これは登山に例えられると思います。
今自分が歩いている道が正しいかどうかに不安を持って歩いている人はいないと思います。
また、それが唯一の正しい道だと思い込んで登る人もどこかおかしい。
自分が歩いている道が山頂へと繋がると信じるからこそ、しっかりした足取りで歩けると言うものです。

不安になれば、山登り自体が苦痛です。
自信を持って次の一歩が出せなくなります。

そして、自信を持って上っていたとしても、それが例え9合目まで来ていたとしても、その道が山頂へは続かないもので
あったり、行き止まりであったりするならば、勇気をもって後戻りするしかありません。

今、私はその登山の途中です。
力強く一歩一歩を踏み出していく為に、その道が山頂へと続かないことを知るまでは正しい道(理解)と信じて歩いてい
くのみです。

ただ、誰かにその道はちょっとずれていると、きちんと教えてもらったり、それが分かる地図でも拾ったら話は別です。

正しかったはずのところまで戻って上り直すだけです。

だから、誰かを拘束してその考えを受け入れるまで開放しない、つまり無理やり一緒に上らせたり、適当に話を合わせ
るような振りをして騙しながら上らせるような事はしません。

同じように思える人がそれを参考にすれば良いと思っていますので、HPの上でそれを先に言っています。

ですので、これ以降私との付き合いをどうするかも○○様次第だと言うことでもあります。

わざわざ私と同じ道で山道を登る必要はありません。

感謝感謝感謝
なかむらかずひろ

_______________________________________
以上、かなり高飛車な姿勢で話を返事をさせていただいています。
それは、へりくだって私の理解や私自身を受け入れてもらうものでもありません。

また、確信確証が無いからと言って、控えめに表現していては自分のしていることに対しての責任を全うする覚悟は産
まれてきません。

頂いたメール中に

「精神世界の話をする際にこうじゃないかなという感じで、投げかけを行うのはいいと思いますが、精神世界はこう言う
世界ですとも受け取れる印象の言葉遣いでしたので・・・。」

と言う言葉も頂いていましたが、少なくとも私の理解する精神世界、一貫性、整合性を保てる精神世界の在り様はこうだ
と私は断言しています。また、そうすることに躊躇はしません。

決して私は他の方の理解する精神世界との最大公約数的な妥協の産物を作りたいとは思っていません。
あることについて、どう言う理解をしたり、どう言う現実を受け入れたら、一貫性や整合性を保てるか、と言う姿勢で精
神世界の事柄を眺めています。
欲しいとすれば、一瞬にして今までの理解がひっくり返るくらいの真理の顕現です。

ですので、基本的には同意を求める為や何かを提案する為の発言ではないのです。

私の発言は、自分の理解でかけているところを見つけるために宇宙に投げかけているものです。
断言をすることでより明確な反応が返ってきます。

例えるなら、砂浜に押し寄せる波のようなものです。
波が穏やかで行ったり来たりしているだけでは、表面の砂がずるずるとすべるだけです。
しかし、大きな波が押し寄せてくると、、砂は表面だけでなく深くえぐられたり、海岸より離れたところのものを運んできて
くれたりします。この運ばれてきたものや、えぐられた砂の下に見つけるものこそが、真理の欠片です。
それを見つけるために、私は波を荒立てます。
そして、その揺り戻しの中に真理を探します。

そして、今回返って来た答えは、死刑制度の私の考えについての論理性の欠陥に対するものではなく、私の発言や周
囲に対する姿勢についての警告だったと言うことです。

一応、その警告に対しての言い訳をここに並べたわけですが、それが適切な内容であるかどうかは、これから私の身
に起こることを検証することで明らかになっていくことでしょう。

もしかするともっと大きな波が返ってくるのかもしれません。

トップへ
トップへ
戻る
戻る
レイキで開運癒し王国のトップページへ

今回のやり取りのメール全文です
今回のやり取りのメール全文です