レイキヒーリングで人生をプロデュース。レイキはあなたを表現する道具です。レイキがあなたを待っている

今の所の私の見解

レイキヒーラー短命説について、その後も不安や嘘であって欲しい気持ち、また、私の持っている意見(意味も無く長い
人生よりも、短くても中身の濃い人生を送りたい)に対して、長く生きることを望むことが不自然でよくないことなのかと
言う質問もありましたので、一応の今の私の見解のまとめを書いておきますね。当然私も発展途上の身である以上私
の言うことが真理と言うわけではありません。これからの成長如何では180度主張が変わることもありえますので、その
旨ご了承くださいね。(私的に言えば、これが真理で変わることが無いなら私はこれ以上生きている意味がありません)

結論から言えば、見方によっては正しく、別の見方によっては正しくない。更に言えば個人の問題としてはどうでも良い
または気にしてもしょうがないことです。

確かに、最初に言っていたように、レイキにかかわらず短命のヒーラーが目に付くのは事実かもしれません。
そして、その理由は邪気をもらい受けたこととその処理の問題や現世に産まれ出てきた時の課題の終了などが考えら
れるのもその通りだと思います。

しかし、そのことを恐れてレイキを他人にすることを極度に恐れたり邪気をもらわないように気をつけたり、更には課題
の終了を恐れて精神の成長につながることを避けて通ったりしてもしょうがないと思います。

レイキを最初に身に付けようとしたときの動機を思い出して欲しいのですが、多くの方は病気から救われたい、不運か
ら逃れたい、目の前の苦しんでいる人たちを少しでも楽にしてあげたいと言う気持ちからだったと思います。そして、何
故そのような思いを持っていたのかを更に掘り下げると出てくるのは、「苦」から逃れて自分自身の人生を精一杯楽し
んで充実したい。周りの人の苦しみを取り除いて、人生の楽しみを共有したい。遠慮なく自分の幸せを笑顔で受け入れ
たい。と言うことになると思います。

もし、今言ったことに当てはまるなら、そのような消極的な姿勢にはいつか無理が出てきます。
どこかで後ろ髪を引っ張られるような気持ちになって、心のそこから笑えなくなります。
苦しみから開放された直後のしばらくは自分自身の幸せにひたっていて信じられないかもしれませんが・・・
かつての自分の苦しみを他の人に見た時に放っておける人ってどれだけいるのでしょう。
しかも、レイキと言う胡散臭いものに何万円も投資をしようというような人が・・・

結局レイキなど癒しや救済をする側に導かれた人は、それが運命とでも言わざるを得ないような状況に気が付けば自
分で自分を置くことになります。
逃げても逃げてもです。
レイキを捨てて方法を変えても、同じです。

だから、気にしても気にしなくても結果は一緒です。

気をつけていても気をつけていなくても、その人の味わう幸せの総量は同じなのです。

おかしな例えで、ちょっとピンとはずれになるかもしれませんが・・・

例えば幸せを笑いの数だけでカウントできる世界があったとします。
そして、その世界に二人の人が同じ量の幸せを約束されて産まれることになったとします。
そして、その量まで達した時に命は終わります。
その量を100としましょう。

さて、一人は毎日毎日3ずづわらって34日目に笑いながら亡くなりました。
もう一人は笑いの無い生活を選びながら、年に一度だけ笑い、100年目に亡くなりました。
さて、客観的に見てどちらの人が幸せだと思いますか?
答えは同じですね。(ここではそういうルールですから)
では、質問し直しです。
どちらの人生を送りたいですか?

私は前者なんです。
でも、後者を選んでも間違いではありません。
何故なら幸せの量は笑いの数だけで決まるのですから、人生の長さは関係ありません。
後は好みですね。
私は、密度の濃い方が好きなんです。だた、それだけです。
私がこちらを選ぶことを表明したために、長く生きようとすることに価値がないのかと思われた方もありますが、それは
ちょっと違います。あくまで私の好みであり、その楽しさを共有しませんかと言う誘いかけでしかありません。

ちょっとルールを変えてみます。
肉体の耐用年数を90年とします。
するとどうでしょう?

今度は幸せの総量に違いが出てきます。
私は元々前者なので、迷いはありません。
しかし、後者の人はどうでしょう?
この仮定の世界では、人生に上限があります。そうするとこの条件では、幸せは90しか得られません。
つまり死んだ後、この二人が話をすると、充足感に10の差がつくのです。
せっかく100の幸せをあげると言われているのに、片方はあっという間にそれを全部使い、片方は全部使い切ることな
く、あの世に戻っていきました。もし、神様が人間的な感情を持っていたらこう思うでしょうね。
「せっかく、100も幸せをあげたのに使い切らずに帰ってきちゃったの?次からはあなたは90で十分ってこと?じゃ
あ、次からはそうしましょう。」

これはあくまで、話を分かりやすくするために、尺度を一つに絞っての例えです。
しかし、我々の人生でもこれが何百倍か何千倍か複雑になっただけのことですよね。

産まれてくる時に人が持っている幸せの総量は分かりません。それぞれの肉体的な寿命、運命的な寿命も分かりませ
ん。課題が何かもわかりません。
でも私の意見ですが、はっきりしているのは人は生きている間に精一杯充実感と幸せ感を味わう義務があるということ
です。

人生の長さそのものに幸せと充実感を覚えるのなら、長生きのためにありとあらゆることに励むのも正しいのですが、
多くの方は長生きの目的は、生きること自体にあるのではなく、その間にすることに見出しているはずです。
なら、それを短い時間の間に濃密度に行うことも一つの生き方と理解できるはずです。

ある意味私のような選択をする人間は、貪欲なのでしょうね。
とことん、あるもの全てを味わい尽くしたいから、生きることを急いでいるのでしょう。
でも、できるうちに自分の持っているもの全部を使い切って死にたい。
それが私が今の生き方をする理由です。

何度も言いますが、これが正解と言うわけではありません。

話がそれましたね。
でも、深く読んでくれた人には、私の言いたいことは分かってもらえたと思います。

長生きのすばらしいレイキヒーラーがいれば、それはそれだけ多くの幸せの総量と課題を約束されていたと言うだけの
ことです。
短命のヒーラーがいれば、それはそれほど多くない幸せと課題を持って産まれてきたのでしょう。
その多くないものを存分に楽しむには密度を濃くして、幸せの中で事切れる方が幸せな死に方かもしれません。あくま
で私の個人的な思いですが・・・。

これもちょっとおかしな例えですが、
1000円持っていて、毎日一円だけ使って砂糖を舐めながら1000日やり過ごすのと、1000円を一度に使ってすごいご馳
走を味わいながら人生終わるのとどちらが良いですか?

私はご馳走を味わいながら「満足満足」と言いながら死にたいです。
1000円ではご馳走なんて食べられないって?
あいにく私は貧乏になれているので1000円あったら十分ご馳走が食べられるんですね。

これも、どちらを選ぶかは本人次第です。
どちらも間違いではありません。
本人が後悔しなければそれでいいのです。
何を持って後悔するのか?
それも各自が何に重きを持って生きているかです。
ここは、私のHPなのでどうしても私の思いが表に出てきますが、それが正しいと言うわけではありません。
どれも正しいのです。
でも、正しくても満足できる生き方、満足できない生き方があるんですね。人によって・・・
それを、こうだ!と規定することはできません。
何せ、私は思想のリーダーでもありませんし、ましてや教祖でもありません。
一人一人に精一杯満足のできる生き方をしてもらえるなら、それで十分なのです。

ただ、少しでも消極的な思いを持っていて本当の幸せですか?と思うことはあるので長々と述べることになってしまいま
した・・・

以上、みなさん、レイキヒーラーとして後悔の無い生き方を選んでくださいね



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