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レイキヒーラー短命説には多くの方が心が揺れたようです。
不安になられた方がたくさんありました。逆にそれを納得して受け入れると言う方もありました。
この違いは死生観の違いでもあります。どちらが正しい反応と言うわけでもありませんが、個人的には後者の生き方を
子供のころよりやってきた私です。
この問題は隠していたほうがレイキを普及する上では都合通いのですが、そのような姑息なことをしてレイキを普及し
ても意味がありません。何故ならレイキの精神を伝えることが大切なのです。だからあるがままを、思うままお伝えする のが私の責任でもあります。
レイキヒーラー短命説のの最後に書いていますが、レイキを分け与える気持ちでどんどんやっていけば、必ず人生観
は変わることでしょう。
人生において人がいつでも注目していて欲しいものは、時間の長短ではなく満足、納得の
多さです。当然楽しくて長いのが一番嬉しいと思うのが当然ですが・・・
レイキは人の命の元に触れる行為です。ですから、レイキをしていけば当然生き死にに関する思索が誘発されて、自
分の生き様死に様、死んでからの在り様にまで思いがいたります。
そして、エネルギーのバランスが完全にとれ、精神と肉体のバランスが自然本来の物となった時には、自然界の命の
ありようをそのまま自分の人生にも当てはめて受け入れられるようになります。
レイキヒーラーに短命なのが多いとすれば、その理由は自然に生きたと言うことではないでしょうか。
「責任」はみんな持っています。
自分の命をこの人生が終わるまで大切に運ぶ「責任」です。
卵レースのようにお玉に入った自分の命を足元頼りなさげによたよたそれでもゴールを目指すのです。ゴールは見えな
いかもしれません。でも、人は一歩一歩進んでいきます。その一歩を大切に卵を途中で落とさないように進めていくの が各個人の「責任」です。
ただそれだけですよ〜。
レイキは無理やり人生を縮めたりするものではありませんよ。
ただ、人が持つ「責任」を果たせるための道具なんです。
途中で卵を落とさないためのサポートをしてくれるものです。
だから、短命のレイキヒーラーがいてもそれは、ゴールまでちょっと早く卵を運んだだけのことです。運動会で早くゴール
した人には祝福が待っていますよね。それと同じように現世の私たちには想像できないような祝福があるのです。(だ からと言って早死にを望んではいけませんね。その場合、待っているのは祝福ではありませんから)
当然ゆっくりでも最後まできちんと卵を運んだ人には祝福が待っています。
ただ、その長短は人が決めることではないと言うことですね。
ただ、我々は自然に訪れる死まで、精一杯生きるだけです。
出し惜しみ無く精一杯生きていれば、自然に訪れる死は恐れるものではないことを悟れます。
死を恐れて、レイキの出し惜しみをしていては本末転倒にもなりかねませんよ〜。
正しい心のポジションで正しくレイキをして、自分の寿命を全うすると言う気持ちでいれば恐れることは何もないというこ
とですね。
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