レイキティーチャーの日記

2006年06月12日
久しぶりにまともに神社参拝です。
近江神宮は2年半ぶりでした〜
2006年07月16日
カブト虫参上!
ついにこの日がやってきました。
昨年産卵された卵が成虫になりました。
近所の神社では3週間くらい前から、ぼつぼつと出始めていたのですが、うちの幼虫達はのんびりしていたようです。しかし、半数近くが同じ日に羽化すると言うのもすごいですね。
多分近所の神社でも明日あたりが羽化のピークなのかもしれません。

去年産卵された卵が80個近く、一令幼虫で確認されたのが50くらい。三例幼虫まで生き残ったのが25くらいです。そのうち本日羽化したのが10匹で内一匹は羽化の後力尽きていました。後15くらいが蛹になっているのかもしれませんが、これらのうち無事に羽化できるのは一体どれだけいるのでしょう・・・昆虫の世界の厳しさを感じます。(でも、卵全部が成虫になったら大変ですもんね・・・)
2006年07月22日
赤ひげ塾研修日。
来月で最終となりました。
4月に始めてまだ3ヶ月と少し。早いものです。
一緒に研修受けている人たちは、どんどん上達していくな〜。
それに比べると私はのんびりしたものです。
でも、慌てない慌てない。
競争じゃないですから。
それにしても、何だろ?妙におかしな自信があったりします。
下手なりに、ちゃんと不快は取れるんだ!と。
どこか心の中で早く看板を家にも揚げようと思っている自分がいます。

今日は先生も含めて7名で飲み会でした。
いきなりなので、心の準備ができていなかったのですが、楽しく過ごせました。
実は私は飲み会と言うのはあまり得意ではありません。
貧乏性なために外でお酒を飲むのが好きでない(家でも殆ど飲まない)のと、人に話を合わせて過ごす時間がしんどいのです。
しかし、このメンバーとの時間はそう言う思いとは無縁でした。

決して人のことを悪く言わない人たち、前向きに人生を進んでいく人たち、何よりバランス活性療法を愛して止まない人たち。
この人たちと一緒にやっているから。
私も根拠の無い自信を持てるのでしょう。
本当に元気をくれる人たちです。
あまり人と一緒にいるのが好きでない私ですが、この人たちは別ですね。
世の中にはこう言う人にエネルギーを分けてくれる人もいるんだな、と今までそう言う人と出会わなかった私は、理屈の上ではわかったつもりでいたことを、実感として理解できた瞬間でした。

来月は認定試験。
そしたら、晴れてバランス活性療法士としての看板を揚げさせて頂きます。

おまけですが、帰り道梅田の本屋さんに寄れました。
いつもは先生と帰りの電車が同じなので、寄り道ができなかったのですが、今日はおかげさまで寄り道できました。
そしたら、探していた本もしっかり発見!それ以外にも欲しいものが見つかって・・・
今日だけで6000円も本代を使ってしまった・・・これは嫁には内緒です。

更に、その近くのお初天神で縁日まで。
これに呼ばれてたんかな?
そう思って、「ありがとう」の言葉を100回本殿に捧げて参りました。
2006年07月29日
髪の毛とひげをバッサリ切りました。
最初は一年かけて伸ばしてやろうと思っていたのですが、急に気持ちが変わりました。
散髪屋から帰ってくると、家の前で遊んでいた長男は、他所の人かと思って挨拶してきました。
三男を抱っこすると「誰や、お前は?」と言うような顔で、最後は泣き出す始末・・・
しかし、私ってこんなに丸い顔だったっけ?
知らぬ間にしっかり肉を蓄えていたようです・・・
2006年08月21日
近所の朝日新聞のコミュニティ紙に整体の広告を載せたく思い連絡したところ、係りの人が自宅までやってきてくれました。しかし、来る途中で車が段のあるところで立ち往生。
片輪が浮いてしまいスリップして動けない状態。
これってどこかで見たような光景・・・
そう、熊野詣の時に私が河原でやった時と同じだ。
あの時に周りの人に助けてもらったご恩を返す機会が同じ状態でやってきた。
不謹慎ながら思わずワクワクする私。
しかし、あの時以上に事は厄介だった・・・
結局、道を行き交う人に助けを求めて車は動くことができたが、なかなかご恩を返す機会はやってこない。(これで返したことになっているんだろうか・・・)

別の見方をすれば、整体の仕事は途中に暗礁に乗り上げてにっちもさっちも行かないということにも見える・・・。
ん〜、どう受け取ったらよいものか。
2006年08月21日
週末に整体の出張営業用に原付バイクを買った。
そのバイクのナンバー登録に市役所に行った。
最近小林正観氏の影響を受けている私としては3、5、8のついた番号が欲しいと思っていた。
そして、でてきた番号は3・・・5・・・0・・・4・・・2
残念。
しかし、よく考えると4*2は8だ。
ちょっとひねると3,5,8がそろうとも考えられる。
整体の成功もちょっとひねりが必要と言うことか。
しっかり、頭を使って頑張って見るとするか・・・
2006年08月22日
うちの塾の講師と教師の仕事についての話をした。
授業について来れない生徒が出てきたらどうしたらよいだろうか?
私の答。
質問に来させてとことん教えたったらいい。
勉強の質問にこんやつには勉強以外のことを教えたったらいい。
でも、どんな生徒にも等しく何かを教えるのが教師の役割や。
勉強ができないやつ、嫌いなやつには勉強をしないでも生きていける道を教えたらいい。
それが勉強ができるやつや、できんなりに頑張ったやつよりもちょっとしんどい道になる場合が多いことも含めて、その上でそいつがどんなことを将来できるかを一緒に考えるのが、本来の教師の仕事や。
だから、進路指導というのは平均より勉強ができる人がどうやったらもういっこ上の高校いけるかと言う問題ではなく、平均よりずっと下の子がどうやったら納得のいく人生を送れるかを語れんかったら意味が無い。程ほど以上に勉強ができるやつは大抵塾でもっと細かい進路指導を受けているもんやから、内申点を教えたったら後はほっておいてもいいねん。それより、全然あかんやつの方は誰にもアドバイスを受けることができんのやから、それこそ学校の先生が、たくさん社会勉強して、そう言う言う人がどう言う道を歩むのかを研究して伝えなあかんねん.。
ほんまにええ社会と言うのは80パーセントの人が大学に進む社会じゃない。
ごく一握りの勉強ができるやつ、勉強が好きなやつ、勉強し可能の無いやつ人が大学に進んで、勉強が嫌いなやつは大学などにいかんと本当に自分が生かせる仕事を見つけてそこに進むことができる社会がええ社会やと思う。
ええ社会とは所謂底辺の人が自分の生活にある程度の満足をして、人の足の引っ張りあいなどを考えなくて済む社会や。だから、勉強の底辺の子達こそしっかりとどう言う道を進むのかを示してやらんといかんのに、今の教師はそう言う子達とは正反対の人生歩んできたのが殆どやから想像すらできん。
そんな教師に育てられて、良い社会を作れる人材になる訳ない。
国も資格を取るのに学歴を必要とする今の状態を改めんといかん。
資格とるにも学歴がいるから、やりたくも無い勉強をしないといけない人が増える。
それで、とりあえず将来の為とか言って何の目的も無く大学に行くやつが溢れている。
そんな馬鹿な話あるかい。
大学に行って、目を輝かせて自分の光溢れる将来を語れんでどうするねん!

話がだいぶ逸れたけど、皆が皆学校の授業を理解できる、理解させなあかんと言う幻想から抜けられん限り、本物の教師、卒業して何年しても生徒が思い出してくれるような教師になれる訳もない。
また、そう言う教師を目指せられんのやったら、教師などやったらあかん。
それは生徒だけでなく国を駄目にする犯罪者や。

そんな教師には○○君にだけはなって欲しくないな〜。

と、話はつづくのでした・・・
2006年08月24日
息子の虫取りに付き合って淀川の河川敷で、小林正観氏の本を読んでいました。
そこに人は運命のプログラムを予め決めて生まれてくる。全ては決められたことが起こっているに過ぎないから、過去を悔やむ必要も未来を不安に思う必要も無い。ただ、今この瞬間に生きればよい。また、今の状況を変える為の努力も虚しい。と言うようなことが書いてありました。
私は原則として運命はベクトルであり、変わることができるという立場を採るので違和感があります。しかし、そう言う考え方をするのも今を生きる上では便利ではないかとも感じます。
でも、世の中には既に決まっているのにわざわざしんどい人生を送るのはナンセンスだと言う人もいるでしょう。しかし、出来事は決まっていても、それをどのように受け止め自分の人生をどう言うものだと評価するかは決まっていないのです。同じ事をしていても、それに対する意味付けが違うとまったく違う物語が出来上がります。予め決まっているプログラムに沿って生きる目的があるとすれば、それはどんな状況でも人は感謝の心を持って幸せを通すことができることを学ぶ、いつでも感謝と幸せを感じているための物の見方を学ぶのが目的ではないのでしょうか?
それは、エゴによって自分で無く周囲を変える事が幸せを生むことは無く、何も変えなくても幸せの種はいつもそこにあることを悟ると言うことに他なりません。そのことに気付いた時人は、何処においても心を乱すことがなくなります。それこそが悟りではないのでしょうか。
もし、運命は自分の都合によって変えていけると言う立場でいるとすれば、こう言う視点にはなかなか立てません。どうしても、状況を変えてエゴが楽になるようにあがいてしまう余地が残っているからです。
ん〜どうも運命変更可能論の方が旗色悪いぞ・・・
でも、やはり私は運命変更可能論者なのです。
ただ、運命をありのままに受け入れることを推奨して入るのですが・・・
だって、降参して受け入れた時に、流れが変わるのを感じるのです。
状況も受け止め方を変えると、実際に変わります。
それすらも,予定通りだといわれたら言い返す言葉もありませんが・・・
2006年08月25日
整体の認定試験が明後日になりました。
その試験対策に、整体の先生の特訓がありました。
私は試験が好きなので結果がどうであれワクワクしています。
他の人は何だか落ち着かないようです。
そう言うわけで私も、周りに合わせて落ち着かない振りをしているのですが、
何だかそれが滑稽で・・・
これに落ちたからと言って何があるわけでもありません。
ただ、受かればバランス活性療法の看板を揚げられるというだけです。
落ちてもその名前を使わない限りは誰にも文句言われることはありません。
ましてや命を取られるわけでもないし・・・
ただ、一つの区切りを超えていく時にどんな気持ちになるのかが、楽しみなだけです。
上手くできても、ばたばたやっても時間が来たら全ては終わります。
だから、ただ、その時間と緊張感(あればの話ですが)を楽しめればな、と言う気持ちです。

こんなところで燃え尽きていたら、お客さんが来た時どうなるの?
と思えば、楽勝楽勝です。
今なら誰にも迷惑かけることはありませんから。
2006年08月26日
バランス活性療法認定試験前日。
今日の研修内容は総復習。
流れはだいたい体が覚えてくれました。
それなりの結果も出るようになってきました。
しかし、一つ一つの技を見ていると・・・
ん?ん???
どうも、おかしいものがあります。
今まででも問題ないといわれていたのが、新たに指導を受けると、どうもおかしいらしい。
しかも、実際に言われたようにやって見ると、あれれ?
全然違う感覚です。
そうです、バランス活性療法では、ただしいポジションではとても動きが軽いのです。
いまさらながらの発見でした。
そういう観点で見ていくと今問題がないといわれている手技にも穴がちらほら・・・
まあ、いいやとりあえずは明日、やるだけやりましょう〜。
技の向上はその後のことです〜


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