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バランス活性療法師認定試験でした。
5人の受験生のうちの私は5番目でした。
朝の十時に試験は始まりました。
一人の持ち時間約30分。
することは基本の診断と療法、骨盤修正。
今までにさんざん練習してきたものです。
普通にやれば問題ありません。
しかし!
私は普通にやるといつも、あれ忘れた〜これ忘れた〜、とやっています。
ん〜大丈夫かな?
頭の中でイメージトレーニングです。
そうしているうちに順番が近づいてきます。
二人前くらいになってきて、これこれ!って言う感じの緊張感が胸の辺りに出てきました。
よしよし、もうちょっとで自分の番だ。
もっと緊張しないとね。
自分がする前に、ひとつ前の人の実技の台になります。
すると、あれあれ?体が緩むと緊張もなくなっていきます。
前の人が終わるころには、完全リラックス〜。
いかん、これではいつも通りに、いっぱい抜けてしまう・・・
そして、自分の番がやってきました。
所謂とりです。
台の人の姿勢を見ていきます。
お、いい感じ〜。
と思っているのもつかの間、気持ちよく勧めていると、横で見ている同期の人たちがこけている!
ん?
思いっきり飛ばしていました・・・
気を取り直して、それらを済ませて、先に進みます。
すると今度は試験官の剣持塾長より待ったの声。
今までの4人にはそういうことはありませんでした・・・
俺は一体何をしでかしたんだぁ〜。
心地よい緊張感が走ります。
これこれ、この危機をどう切り抜ける、俺?
どうも私は自分がした診断と逆の施術を行おうとしていたようです。
つまり、自分の言ったことを忘れていたのです。
お、いつものペースになっているぞ!よしよし。
剣持塾長とのやり取りも無事収束し、施術が続きます。
苦手な技の番が来ました。
昨日指摘されてから狂いっぱなしの技です。
なるようになるやろ〜
なんとか待ったの声も掛からず、先に進みます。
そして、最後。
両脚の長さがそろったところで、終了です。
剣持塾長の、チェックもクリアし,全ては終わりました。
久しぶりに試験というものを体験しました。
やっぱりこう言う緊張感が好きです。
受かっても落ちてもどっちでもいいんです。
ただ、一つのステージを越える瞬間にある,目に見えない山を越えた達成感のようなもの。
これを味わうのがたまりません。
こう言う自分を見ると、まだまだ私も人間だな〜と感じます。
人間として、これからも色々な楽しみを味わっていけることに感謝です。
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8月29,30日で天橋立にキャンプへ出かけました。
普段は朝が遅い長男はこう言うことがあると一番に起きて一人で朝から賑やかです。
朝から、カブトムシの世話をして、服を着替えて、ご飯を食べて・・・私はその間にトイレ掃除です。
朝7時、出発〜
学生時代、原付バイクで行っていたころは遠いところまで来たもんだと感傷にふけっていたのですが、今となっては車で3時間と少し。あっという間です。
途中で、寄り道をしても昼前にはキャンプ場着。
今回はレンタサイクルで、砂洲を渡りました。
ここを渡るのは長男が4歳の時以来ですから、3年ぶり。
途中にある井戸水を飲みたかったのですが、検査中で飲めませんでした・・・残念。
砂洲を渡ると元伊勢・籠神社があります。
私がこちらに来る理由はこの神社があるからです。
ちょっと商売っ気を出しているような感じで、しかも禰宜が授与所でべらべらしゃべっているのが残念。
この神社の神様いつまでここに来てくださるんやろ・・・と不安に思いながら、祝詞を奏上する私でした。
その後、文殊院近くの砂浜で子供達を遊ばせていました。
ゆっくり読書と行きたかったのですが、そうはさせてくれません。
子供と魚を採りながら、流木拾いと砂浜のごみ拾いをする私でした。
流木は整体の看板にできんかな?と思って探していたのですが、どうかな?
いいのができたら、見にきてくださいね。お客さんで。
ごみ拾いは遊ばせてもらった感謝の気持ちです。
みんなが持ってきたごみにプラス一個持って帰るなり、ごみ箱に運ぶなりすると砂浜はきれい保てるのでしょうね。簡単だけど、難しいことです。
5時になり、天橋立駅の隣の温泉に入りました。
こじんまりした温泉ですが、露天風呂もあり結構いい感じです。
露天風呂の横で一人立つだけの気功をして温泉のエネルギーをもらう私でした。
夕食はちょっとはなれたショッピングセンターへ・・・
キャンプなのにバーベキューなど、アウトドア的なことはまったくしません。
だって、お金が掛かるんですもの・・・私は変なところでけちんぼです。
夕食から戻ると、花火です。
子供達のお気に入りは線香花火と今日はじめてのトンボ?とか言う回転しながら舞い上がっていく花火です。
線香花火の消えそうで消えないのを見ていると私の人生そのものと思わず声援を送りたくなる私でした。しかし、無情にも1歳半の三男がその花火を木の枝でことごとく払い落としていきます。
これは何かの暗示ではないのか・・・?
考えすぎです。
キャンプ場の夜は早く、9時半にはみんな眠りにつきました。
二日目、やはり朝5時半に長男が行動し始めます。
それにつられて、次男も起きて二人で小雨の中、魚をとっています。
子供は毎日同じ事をしてもあきません。
朝食を済ませて、伊根の舟屋を見にいきます。
海沿いの独特の雰囲気の町並みです。それを湾ごしに、海側から見ると、車庫付きの家みたいなのが海の上に並んで見えます。
すごいです。この町自体が、国の文化財ですね。
そして、なんとか牧場(名前忘れた・・・)が道中にありました。
ここで羊や牛、ウサギと一時のふれあいタイム。
多分子供達にとってはこれが一番印象に残っていたかもしれません。
その後、鳴き砂で有名な琴引浜へ向かいました。
しかし、郵便局とスーパーが近所に無いと言う理由で、その先の町まで車を進めました。
網野とい町です。
どこかで見たことがあるな・・・と思っていたら、結婚前に妻と来たことがある町です。
浜に出て気付きました。
ここの海もきれいです。
青いんですよ。
須磨ではこうはいきません。
三兄弟は水着がないので、パンツ一枚で遊んでいました。
長男は野生児に育てたためか、小学一年になっても羞恥心が薄いです。全裸になってもあまり気にしていません。さすが私の息子と言うべきでしょうか・・・
結局ここで遊びすぎて、城之崎温泉に行く時間がなくなりました。
帰り道、温泉に入ることに固執する次男。
あまりにうるさいので、自宅近所の銭湯に連れて行くことで納得させました。
ここも一応天然温泉が沸いているんですよ〜。
途中、お土産を買うのを忘れて、全然知らない町の道の駅でお土産を買う私。
でも、そこには何故か天橋立のクッキーが・・・そして、その横には篠山で売っていた、黒豆を使ったお菓子が・・・う〜ん、私は何処に言っていたことにしようか・・・
結局、篠山で売っていた方のになりました。
何故かって?
ほんとは2日目は篠山の私の土地の草引きに行く予定だったんです。
それが、何だか面倒になってしまったので・・・気分だけでも篠山です。
でも、篠山のお土産は買ったことがない・・・
8時前に枚方につきました。
そして、さっさとご飯を済ませて銭湯へ。
長男と次男だけを連れて行きました。
彼らは広いお風呂が大好きです。
ちょっと使ってはまた別のところへ・・・それを何度も繰り返して楽しんでいます。
すると、肩に何やら絵を書いたお兄さんが入ってきました。
長男は、病気のせいもあり、目に付いたことをそのまま口にすることがあり,結構あちこちで親としてばつの悪い思いをしています。
今回も大丈夫かな?思って見ていると、そのお兄ちゃんのとなりに入って遊びだすではありませんか。
絵のことには触れずに済みましたが、やはり、あんまり迷惑をかけるとよろしくない人かもしれません。
息子を呼んで、人の入っていない風呂で遊ばせました。
風呂から上がる時、兄弟で場内を走り回っています。
実は次男も長男同様、広汎性発達障害のようです。
その様子を注意していると、先ほどのお兄さんが話し掛けてきます。
話を聞いていると、同じくらいの年の娘さんが二人。やっぱり男の子が欲しかったみたいで、しきりに子供達をかわいいと言ってくれます。
ほんとに子煩悩なお兄さんのようです。
でも、それだけに思いました。
体に絵を書いた親を持つ子供は肩身の狭い思いをします。
銭湯にいっても、プールに行っても、一緒に遊ぶことはできません。
今は良くても、いつか肩身の狭い思いをしている子供の気持ちを知るときが来ます。
その時、このお兄さんはどう感じるのだろうか?
私の父親と同じように、ただ静かに子供が遊ぶのを見守るだけしかできない自分を許せるのだろうか・・・。
多分、私の父は今でも自分のしでかしたことを後悔しているのだと思います。
それが無意識のうちにアルコール中毒、そして、肝硬変にまで追いやることになったのだと思います。
このお兄さんが、私の父と同じような人生を歩まないように祈るばかりです。
同じ子を持つ父親として。 |
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これは整体のメルマガの内容です・・・。
認定試験が終わり一ヶ月。
現在の本業の塾やレイキのサポートの仕事と子供の相手の合間にチョコチョコと宣伝ようの
小道具を作ったり、コミュニティー誌への投稿の準備、HPの宣伝などをしているとあっとい
う間に一ヶ月です。
24時間・・・と言っても実際のそう言う活動は来年4月以降までは全面的にはできそうにあり
ませんので、ちょっと控えめにやっていますが、どうにかなるのかな〜と根拠の無い自信
が顔をのぞかせ始めました。
ただ、これは営業ベースでの話でして、実際の技術の方はどうだ?と言われるとヒーリングや
リラクゼーションとしてはそれなりになってきましたが、治療?としては実感と実績がな
い分、やればやるほど、不安要素が見えてきたりします。
ところで先日、バランス活性療法師の養成講座を復習のために受講してきました。
赤ひげ塾を選んだ理由として、無料での再受講、担当講師によるきめ細かいフォローがあげら
れます。ただ、このフォローは担当の先生によって差があるので、何処でも同じとは限り
ませんが・・・
そこで、基本の手技の練習を同期の方としていたのですが、ん〜どうもしっくり来ない。
やっているつもりでも何かが違う・・・
自分の中ではすごく雑にやっているような感じがあるのですが、受けている人はそうとは感じ
ていない様子です。 そして、この研修の最中に、電話が鳴りました!(T先生すんませんでした・・・)
それは、私にとっての整体師プロデビューの電話でした。
はい、初めての有料のお客様です!
まだまだ、本格的な営業はしていませんでしたが、モニターで受けていただいている友人の
飲食店の従業員さんでした。
やはり、口コミ、体験者の言葉は強い!
私はその夜の飲み会のお誘いもキャンセルしてそそくさと家に戻りました。
さてさて、家に帰って友人のお店の2階でお客様を待ちます。整体を必要とする状況がわからないので、やむを得ず、親指2本で遠隔による、バランスチェ
ック(バランス活性療法秘伝の技です)。
それで、右の股関節に異常と言うところまで分かった時点で、後はイメージトレーニング。
大丈夫大丈夫。いつもと同じことを淡々とこなせばいいだけ・・・
お客様登場!
先ずは問診。
おぉ!やっぱり右の股関節か!
しかし、どうやるのがよさそうだ?
迷うくらいなら、バランスチェックだ!(とにかく初心者にはバランスチェックは強い見方
なのだ!)
しかし、施術が進むにつれ、だんだんと意識の焦点がぼやけてくるとバランスチェックの反応
が鈍ってきます。するとどんどん迷いが出てきます・・・焦る・・・結果を出さない
と・・・ 頭がくらくらしてきました。こうなると、もうバランスチェックは当てにできませ
ん。レイキのほうがよっぽど楽だな・・・結果を気にしなくて良いもん。
最後はへろへろになりながら、薄っぺらな骨格と筋肉の知識と手技の知識を使ってフィニッ
シュ!
当然、違和感は取れていません・・・
最後は禁断のごまかしです・・・
気持ちを入れ替えて、バランスチェックで確認です。
これでいい? OK
いつ違和感が抜ける? 4日後
ちょっとその状態にしてくれる? OK
そして、私は4日後の状態に一時的に体を変えて、お客様に確認していただきました。
「あ、痛いのが抜けている・・・」
しかし、これは一時的なごまかしです。お客様にはその旨説明して、4日後を楽しみにしてい
てねと言うことで、終了しました。
お客様は最後に一体何をしたのだ?と言う顔でしたが、その日の私にはそれ以上のことはでき
ませんでした。
こんなんで大丈夫か?次の日も次の日もその日の施術についてどう言う状況でどうすればよか
ったのかを自問していました。(この仕事理屈考え出したらしんどいぞ・・・)
そして、友人から後日の様子を聞きますと、痛みは残っているとのこと・・・。
それを考えていると、次のお客様が飛び込みでやってきたではありませんか!
どうやら考えている暇は無いらしいぞ・・・
その方は家に張り出している看板を見てやってきた、近所で工事をしているおじさんでした。
昼休みにちょっと腰が痛いのマッサージしてくれ!
おいおい、うちはマッサージはできんのよ・・・
こちらの手技の説明をして、納得して頂いて、施術は始まりました。
しかし、時間が30分しかない!
訴えている症状は、ぎっくり腰の後遺症と、右肩痛。
おいおい、慌ててやっても基本プラス応用を一つ二つじゃないか・・・
でも、迷っていてもしょうがない、やれる範囲でやっちゃいましょう。
とりあえず、骨盤修正と基本を丁寧にするだけでも、それなりには効くんだから・・・
やっぱり基本と応用を一つしたところで時間が来ました・・・
ん〜、不完全燃焼やぞ。
その結果は、どうかは未だ分かりません。
次の日にその人が昼休みにまたくれば、悪くは無かったと言うことでしょう。
ようやく本当の意味での修行が始まりました |
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西宮から整体のお客様が来られた。
へ?と思っていたが、レイキのHPから知られた方だった。
どうもセミナー受講前にどんなやつかを直接見ておきたかったようだ。
しかし、そんなことはどうでもいい。
整体のお客様として一人の人がわざわざ足を運んでくれたのだから、精一杯整体をしようと心に決めた。
もともと私は商売上手ではない。
レイキセミナーについては、「レイキなどできたからと言って、何も変わりませんよ」、「自分の人生を変えるだけなら五戒をきちんと理解したら、レイキのアチューンメントはいらないからタダです」、「他の人へヒーリングするのが目的ならタダで身につくものもいっぱいありますよ」とまるで受けちゃいけないかのように受け答えをしてしまった・・・・あ、一億総レイキヒーラー化じゃなかったのか?
さて、そんな話ばかりしていてなかなか施術が始まらない。
駄目だ!俺は話し出すと話が切れない・・・
一息ついたところで、姿勢のチェックから入った。
今の潜在的な状態を説明し、足湯、バランスチェック、どのような組み立てで行くのかの確認、骨盤修正、基本手技、応用手技と進んでいく。
ここでまた、問題が・・・
へ、部屋が狭い・・・。
普段は学習塾に使っている部屋の机を横にどけて、空いたスペースに折畳式の施術ベッドを置いてしていたのだが、その横で自分が座って施術をするスペースを考えていなかった・・・
ひたすら狭いぞ、この部屋・・・
私は窮屈な姿勢で、お客様の足首を回す。
時々動きがぎこちない、壁に手が当たる。
しょうがない、元々出張整体なんだから・・・と言い聞かせるものの、やはりもう少し広いスペースが欲しい・・・
全然専念できとらんじゃないか、と思いながらも最後までたどり着く。
最後のチェックで施術はOKと出るが、納得できん!
施術後にお客様に身体の様子をうかがい、施術前との動きの変化を確認する。
ん〜、自分の思惑とは少し違うな・・・
それでもお客様は体が軽く動くようになったと言ってくださる。
ん〜、しょうがない、自分なりに少ない知識を振り絞って、変化の理由と今の状態を説明しよう。
そう思いながら、お客様と言うより、自分を納得させる為に少ない脳みそを絞って説明をした。
何となくかもしれないが、お客様は納得をしてくださったようで、最後はレイキの質疑応答の時間になっていた。
どうやらレイキセミナーの方も受講する気満々のようだった。(あれ?おかしいな、全然必要ないと話していたんだけど・・・)
後は、ご家族がレイキなどを怪しいものとして拒絶されているいてついた心をどのようにしてお客様が溶かしていくのかの問題だ。
反対を押し切って始めるのは勇気がいるだろう。
黙って始めるのは、ばれやしないかとひやひやするスリルが嬉しい(訳ないか・・・)。
ただ、黙々とレイキをしたいと妄想にふけるのも一つ。
どちらにしても、本当にご縁があるなら、いつかご家族にもレイキの必要な時が来るか、反対のしようの無い状況ができるかすることだろう・・・。
私もそうやって妻の理解を得るに至った一人ですから。
多くの人が家族やパートナーの同意を得られずに、迷っているかもしれないけど100パーセント追い風でことが進むことは無いのよね・・・。
少しくらいの追い風がある方が、やりがいもあるというものだと思う今日このごろです。 |
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今日は整体の施術の予定もありません。
特に広告を打ったりしているわけでも、目立つところに在るわけでもないので、こう言うときは開店休業です。
夕方に塾の生徒がくるまではぼけ〜っとしてるのですが、今日は古本屋さんにGO!
古本屋さんで本のタイトルを眺めているといろんなことが頭の中に浮かんできます。
子供の頃にいつも妄想で宇宙空間に放り出されて漂っていた時のビジョンやその時の感覚。
宇宙の果てまで飛んでいったら、そこには壁があってその先には明るい宇宙があったこと。
小学一年生のときに原爆はもしかすると大阪に落とされていたかもしれなかったと聞かされた時のショックと、もし、そうなっていたら今の自分はどうなっているのだろう?と必死に考えていたこと・・・いつも頭の中では「もし〜なら」と言う妄想でいっぱいでした。
そして、小学4年生の時に、いつも一人でいる時も笑っている自分に気付いて、笑うから幸せなんだと理解した時の感激・・・(これらのことはまた、別に書きますね。え?読みたくない?)
いつも頭の中ではぐるぐるといろんなものが渦を巻いています。
(だから、良くぼーっとしているんですね・・・)
そして、今日特に書きたくなったのは「無敵の人生」。
これ、どんな時に心に沁み込んできたのか忘れました。
斎藤一人さんの言ってらしたことでしたでしょうか・・・
敵を作って争うからしんどいんだよ。
誰とも争わなければしんどいことはなくなるんだ。
無敵の人生とは、誰にも負けない人生ではなくて、誰も敵にはならない人生なんだよ。
自由経済の国に住んで会社で働いたりお店をしたりしていると、何故か気が付くと同業者の動向が気になってしょうがありません。そして、同業者がなくなるまで追い詰めないといつか自分が追い詰められるような気がして気が気ではありません。
その発想の一つが「市場シェア」を競うものです。
この国で一番、この町で一番と一番になることに必死になります。
そうでない会社でも少しでも順位を上げようと頑張っています。
そして、売上を上げるには他の会社からお客さんを奪うしかないと思って、血眼になって頑張ります。
この時、会社が見ているのはそのお客様を奪おうとしている会社なんですね。
だから、あいつには負けないぞ!と言う発想でとげとげしい気持ちになってしまいます。
しかし、そこまでして一番になっても永遠に一番な訳はないんですね。
虚しいものです・・・・。
争うことを止めながら仕事をしていこうと思ったら、視点が変わります。
そう、自分達の商品を受け取ってくださるお客様としっかりと眼を合わせて仕事をするようになります。仕事の目的も勝ち負けではなくなります。
自分達が食べていけるだけの売上を慎ましく上げていく事で十分だと思えて、お客様の眼を見てお話がきちんとできるようになった時、他の会社からお客様を奪おうなどと思わなくても、食べていけるようになります。
誰とも競わなくてもいい、誰とも争わなくてもいい。
ただ、人に喜んで頂いていることを目的に存在していれば、無敵なんです。
奇麗事かも知れませんが、私はいつも穏やかな気持ちで仕事をしていたいです。
そのためにも無敵の人生を送りたいと再確認した本屋さんでのひと時でした。
そして、そんな私にご褒美がありました。
ちょっと前によく読んでいた小林正観さんの本が100円均一で3冊も出ていました。
どれも私が読んだことの無いものでした。
これは今の自分に必要なことが書いてあるんでしょうね。
迷わず買って帰りました〜。
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嫁の実家への新年の挨拶も兼ねまして、1月6,7日で奈良に行きました。主たる目的は初詣なんですけどね。 当日は異常な低気圧が日本を覆っている形で朝から雨がきつく、子供達は先に嫁の実家に預けて、大人だけでいざ三輪山、大神神社へ! その途中、天理にある石神神宮に寄りました。 こちらは、物部氏の氏神に当たる神社だったと思いますが、何かの本に石神神宮、大神神社、大和神社の三社を古代大和地方の歴史の謎解きの三点セットとして、紹介されている本があったように思います。これら三つは出雲系の神様が御祭神のようで、東大寺横の春日大社とは一線が引かれているようです。 また、こちらの神社は禊の講習が受けられる珍しい神社ですので、ご興味のある方は是非一度お参りください。ちょっと地味ですが、この神社には凛とした空気が漂っています。これから、覚悟を決めて何かをしようという時には、気持ちが引き締まりますよ! しかし、この神社に行くと大抵雨です。この日もしっかり降っていました・・・ 30分ほど滞在して、大神神社へ更に進みます。 雨は途中でやや弱まってきて、桜井に到達する頃には殆ど止んでいました。左手には山が続くのですが、思わず見とれてしまいまいした。
山すそがかすみがっている様子は、八百万の神々が下りてきて歓迎をしてくれているかのような気持ちになります。
完全な思い込みですが・・・
大神神社は悪天候にも関わらず、駐車場はいっぱい。
大鳥居の直ぐのところの駐車場に止めて歩きました。
この時には雨も上がっていましたが、大神神社では大抵雨が上がるんですよね・・・
こちらに参るのは一年ぶりでしょうか・・・
かなり不義理なことをしてしまいました。
本殿の前に進み、参拝します。
この神社には結構神社マニアが良く来るのか、かなり変わった手つきで拝んでいる方が時々います。(変わったと言っては失礼ですね。印を結んでおられるだけです。)
目をつぶって手を合わせ、心を静めて祝詞と神社拝詞を唱えます
すると何故か本殿中央ではなく、本殿の右横の方へ体が引っ張られます。
何だ何だ?
分かった分かった、ちょっと待って。
一通り唱えてから、引っ張られる方向に体を向けなおして、目を閉じてを合わせます。
引っ張られる感覚がなくなりました。
こちらにどなたがいらっしゃるのかは分かりませんが、目を開けるとそこには警備員さんが決まり悪そうにこちらを見ていました。
いや、あなたを拝んでいたわけではないのですが・・・
そして、摂社めぐり。
結構大神神社のご神域は広くちょっとした散歩です。
祈祷殿の前には大きな絵馬が特設され、参拝者の人が思い思いに願い事を書けるようになっています。
私は、元旦の長男を見習い今日は、「ご縁のある人と神様が幸せでくらせますように」と書かせていただきました。
ですので、今これをご覧になられている皆様が幸せでありますように・・・。
遥拝口にある摂社の裏にはご神水がでています。
こちらを頂いて、更に歩いて大和平野が一望できる丘の上へ。
そして、大鳥居の直ぐ近くにある、大三輪教会へ。
こちらは明治の頃に神社令と言う法律で、一般の神社が人々にご祈祷を行うことを禁止した為に、古くから神道に伝わる霊的な技術体型を失わないようにする為に大神神社から分離独立された宗教法人です。
そして、天理教の後見人みたいな役割を果たしていたりもしたそうです。
似たようなものが出雲大社にもあったと思いますが、何故戦後に神社令が廃止された後に元の鞘に収まらなかったのでしょうか・・・。
こちらの教会の前に来ると、子供がいました。
「お金〜、お金欲しい・・・」
と言ってこちらに近づいてきます。
ん〜、何だろう。
物乞いだろうか・・・
しかし、子供の物乞いが、今の日本にいるなんて・・・
後ろをついてくるので、嫁が話し掛けました。
「ここの子供?」
「うん・・・」
そして、教会の横口から中に入って行ったようです。
上に上がってご神前で灯明を上げます。
そして、祝詞を唱え、参拝できたことに対するお礼を述べ、更にご先祖様の冥福を祈ります。
大神神社のご祭神といわれる大物主命は大国主命と同一と言う説もあり、この神様は冥界の王とされているのです。
さて、祝詞を唱えていると、妙なインスピレーションが・・・
もしかるすと、先ほどの子供は座敷童子のような存在では・・・?
彼にいくらかでもお年玉を渡すことが、開運に繋がるのでは?
そんな思いがでてきました。
あらゆるところで人は試されています。
一度それを失敗しても、いつかまた、同じようなことを試されます。
そして、クリアすれば更に新たに試されることが出てくるのでしょう。
これは、私の気前良さを試されていたのではないのか?
もしそうなら、そして、そうでなくても、聞こえぬ振りをしていた私の振る舞いはあまり誉められたものではないな・・・。
お参りを済ませた後、教会の周りを見回しました。
しかし、そこにはもう、子供はいませんでした。
私は一度テストを受け損なってしまいました。
以前にも一度私は、そう言う苦い経験をしています。
どうも、お金に対する執着、お金がなくなることに対する恐れがまだまだ大きいようです。
この社会で生きていく上ではしょうがないことなのかもしれませんが、それは自分に対する自信の無さの表れでもあるのでしょう。
私には即時に何処でも換金できるだけの人徳と技術が、まだ備わってはいないようです。
ちょっと後ろ髪を引かれながら、次の神社へ。
大和神社(おおやまとじんじゃ)です。
この神社は大神神社の近くで、通行の多い道から少し入るところにあるので、あまりメジャーではありませんが、結構当てにできますよ〜。
と言うか、単独ではどうか分かりません。
この日に回った三つが揃うとどうだろう、と言う感じです。
しかし、マニアには何かを感じてもらえるである神社の一つだと思います。
本殿で祝詞を上げていると、風がザーっと吹きました。
そして、隣の摂社に参っている時にはざわざわっと風がなりました。
上を見上げるとその社の上の枝だけが風になびいています。
神社巡りをしていると、時々そう言う経験をします。
あたかも、そこにいますよ、と言うような感じで・・・。
帰り道、まったく雨は降っていませんでした。
これなら子供も連れて行けたかも。
でも、子供がいたら三つは回って入れなかったでしょう。。。
次の日は春日大社です。
前の晩、ひどい雨で何度も目が醒めました。
朝もまだ雨が降っていました。
昨晩に嫁は腹痛で苦しんでいたので、この日は私一人です。
嫁の実家からは車で5分の距離。
春日大社の駐車場に車をとめた時には、小雨になっていました。
本殿についた頃には止んでいます。
今回はこんなんばっかりです。
歓迎されているのかいないのか・・・。
本殿での挨拶を済ませると、摂社の夫婦大国社へ。ここは上に上がって好きなだけ拝めます。
2年位前までは結構頻繁にここに来ては座っていました。
仕事などで迷ったりした時は、じっくり答えが出てくるまでいたこともあります。
それが去年はまったく来なかったな・・・。
今年は神社仏閣との付き合い方を一からやり直そうと思います。
きちんと丁寧に、神様仏様の声を聞きながら生活をしていければと思います。
春日大社自体の御祭神は日向系の神様ですが、大国様(仏教では大黒様です)は本来出雲大社の御祭神ですので、出雲系の神様です。
どうも、私は出雲系の神様の方が落ち着くようです。(でも、伊勢の神宮の好きですけどね)
そして、その奥にある摂社を巡ります。
その中に金龍神社と言うのがあります。
神道実践者の中にはここの神様が,日本のこれからの霊的な変革に絡んでいると言う方もある神社です。
一応、金運財運の神様と言うこともあり、名前に惹かれて信者さんも多いようです。
そして、本殿に戻り、前を通って反対側にある摂社に一言主神社と言うのがあります。
こちらは一言だけのお願いを成就してくれると言う神様がいらっしゃいます。
以前こちらにお願いをして、結構いい線でお願いを聞いていただいたことがあります。
今回は軽くご挨拶をさせていただくだけにしておきました〜。
それにしても、めっちゃ久しぶりに春日大社をゆっくり回りました。
やっぱり神社仏閣巡りはばたばたしていてはいけません。
観光ならばそれでいいですけどね〜。
ご利益が欲しいとか、波動を整えたいとか、エネルギーを頂きたいと言うなら、じっくり味あわないと・・・。
今回の初詣巡りは以上です。
それにしても今回は奮発して、お守りを頂きました。
これも去年は控えめにしていたんですが、今年はばんばん行きます。
お守りを見るごとに、その神社の光景が浮かびます。
そして、そこで自分が何を思い何を決意したのかも。
確かに、宗教や神様にすがっていちゃいけないのですが、思い上がって一人の人間の力でどうにかしようとするのも、摩擦が多くてしんどいことも多いです。
成功しても極端なことになりやすいですしね。
ほどほどにバランスをとりながら、摩擦を減らしてやっていくには、そう言う目に見えない存在、神様なども意識している方がやりやすいようですので。
そう言うことで、今年は神社仏閣巡りの一年となります。
後今年中に行きたいところは、天川村の天河弁才天社、洞川村の龍泉寺、伊勢の神宮、二見が浦の二見輿玉神社、広島の観音院、信貴山の朝護尊寺、京都の鞍馬寺、貴舟神社、天橋立の籠神社などなど。
今年は大忙しです。
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1月15日深夜。
ごそごそしていました。
クイズ紳介君を見ながら、ぼーっ・・・。
(大沢あかねって、受け口やなかったらもう少し、可愛いんだろな〜)
教室の雑用やブログの更新・・・
何気なく風呂に入りました。
そこでも、ぼーっ。。。
上がってくるとクイズ紳介君は終わっていて、何をするわけでもなくパソコンに向かっていました。
するとレイキの日の感想メールが・・・
ん???
おぉっとっっッ!
忘れてたたたたたぁぁぁぁっっっっ・・・・
そうだ、無料の遠隔ヒーリングの日だったのです。
このイベントを始めて2年半。
今までこれだけきれいに記憶から消えていたことはありませんでした。
忘れかけていてもその時間には思い出したり、または、その一時間くらい前に
レイキの日のことを意識したりしていたので、きちんとお申込いただいた方にはリアルタイムで届いているはずなのですが、今回はそう言うこともまったくなしです・・・お申込いただいた皆さん、本当に申し訳ありません!
その方のご感想は、「何も感じませんでした。」
いえいえ、普段なら何も感じないことは問題ないのです。いや、むしろ望ましいことなのです。
何せヒーリングですから。
必要の無いヒーリングは起こりません。
しかし、今回は届いていないから、何も無いということでもあります。
(と言っても時間の先取りをしてレイキの日以前から変化が現れたり、その時間の数時間前から変化の出ている人もいらっしゃるのですが・・・)
そこで、夜の一時から仕切りなおしで遅らせていただきました。
設定は、時間を巻きもどして、1月15日夜11時40分から1月16日0時10まで。
しかし、この場合実際にそのエネルギーを設定の時間に感じる人と言うのは潜在意識の働きがかなり活発で素直に顕在意識にも受け渡している方だけです。
そうでない方には、表面にまで伝わっていることは先ず無いでしょう・・・。
しかし、リアルタイムで感じていない人でも、眠っている間にきちんと体には伝わっています。ご安心下さい。
どこでそれを判断するかは、本来のレイキの日の主旨通りです。
リフレッシュした気分で次の日を迎えられたかどうか。
肉体的な違和感が軽減されている方もあるでしょうし、心が軽くなったり力強くなったりしている方もあるかと思います。
それが本来のレイキの日の目的ですから。
開き直るようですが、元々眠りながら受けていただき、そのまま朝を迎えていただけるようにしていましたので、本来の形に戻っただけなのかもしれません。
とりあえず、普段来ているものが来ないぞ、と思われていた方もあるかも知れませんので、ご報告まで。
ご迷惑おかけしまして申し訳ありませんでした。
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授業が終わってから、9時半ごろに生徒が保護者の方と相談に来られた。
大阪府前期の公立受験の結果発表を前に、担任の先生がその生徒が希望する後期の学校は無理だからランクを下げて考えるように言ってきたと言うのだ。
前期は駄目もとで受けているので、確かに後期のことをすでに考えているわけだけど、今更言うか?と親も子供も怒っている。
私にも理解できない。
確かに前期で落ちて後期を受ける人は、結果発表の日のうちに後期の受験校を決めないといけない。
だから、考え直させるならこのタイミングでぎりぎりなのだけど、それならもっと早い時期にいえよ。とも思う。
この時期に言うと言うことは、試験の結果が高校より漏れているのだろうか?
私立ならある話だけど、公立ではどうなんだろう?あってもおかしくはないけど・・・
本人は半分やる気をなくしている・・・。
でも、完全に第一志望の学校を諦めているわけでもない。
何せデータの上では、五分五分なのだ。
ただ、滑り止めを受けていない為に誰も冒険をさせられない状態のためにうかつに物が言えない。
これは私も同じだった。
ひたすら、状況を整理し、生徒にイメージをさせる。
そして、一番後悔の少ない選択肢を考えさせる。
無理して受けて合格するのが一番本人は納得できるだろう。
しかし、駄目な場合の進路は限られている。
その進路にいった時に、その後の3年間または人生そのものを誇りを持って生きていけるだろうか?その覚悟はあるか?
また、ランクを落とした学校で納得して3年間を送ることができるのかどうか。
行ったはいいけどやっぱりあそこで頑張っていたら・・・と思うようなことがありそうなら、やっぱりそれはおススメできない。
そこで、ランクを落とした学校に行った場合のメリットを一緒に考える。
とにかく、どこに行くにしても願書を出す時には「ここが良い」と言えないのなら行ってはいけないと私は思っているから。
新しいことは笑顔で始めないといけないのだ。
そうして話をしていると、最後に生徒は少し笑いながら言った。
「ランクを落としてもいいかな・・・」
私は内心少しほっとしながら言った。
「じゃあ、後は自分の中でその学校に行きたい理由を一つでもいいから見つけよう。他の学校と比べなくてもいいからな。別に勉強と関係なくてもいいよ。憧れの先輩が通っているって言うのも大切な理由やしな。」
少し吹っ切れたような表情で生徒は帰っていった。
毎年一人は学校の先生の一言で傷付いて、相談に来る生徒や保護者の方がいる。
その言葉を聞いて、一緒になって怒ったり、先生の言葉の足らなかったところを補ったりして生徒が感情に押し流されて結論を出さないようにする。
そして、時には「なにくそ」という思いに換えて、最後の一踏ん張りをさせる。
そんな生徒達が、自分の納得する進路に進めたとき報われたと感じる。
時には入ってからこんなはずじゃなかったと言うこともあるけど・・・
でも、それにめげていては何も出来ない。
勉強しろとは言わない学習塾がこの時だけは、生徒の尻を叩く。
そして、叱咤激励して、生徒を鼓舞する。
最後の何週間か、後から悔やむことのないように。
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奈良市に大倭教と言う、ちょっと変わった宗教団体があります。
神道系の団体ですが、そこには拝殿にも何処にもお賽銭箱はありません。
お札もお守りも授与していません。
団体の方々は自分達の食い扶持は生業を持って、そちらで稼いでいらっしゃいます。
5年程前、私は雑誌でここの存在を知り、お話を伺いに行きました。
その時対応してくださったS本さんは、昔学生運動に明け暮れていた方だったのですが、それがどう言うきっかけでかは分かりませんが、この団体の事務方の中心でした。
学生運動はその思想的にはマルキシズムであり、宗教は麻薬であると言い切る人たちが中心です。
その人が帰依するからには圧倒的な現実的な説得力がこの教団にはあったのでしょう。
当時、お話を伺いに行った理由は、独立してしばらく経ちながら、かつかつの生活を続けている中で、精神的な支えが欲しかったのが一番の理由だったと思います。
実際その前には、ご利益の絶大さを謳う新興宗教に一年ほど通っていたこともあります。
しかし、そこには支えとなるものはありませんでした。
(多くのことを学んだのは間違いありませんが・・・)
新興宗教を離れた後も、自分なりに神社や仏閣を回っていましたが、何かしっくり来なかったのです。
しかし、大倭のことを、雑誌で読んだ時に、ここに何かきっかけがあるかも、と感じた私は早速車で出かけていったのです。
対応してくださったS本さんはとても温和な方で、目に見えない世界とも親しみながらこの世界にしっかり根付いて生きている方でした。
その時、私は2冊の書籍を頂きました。
法主・矢追日聖師の人生を書かれた本です。
当時、家計のひっ迫していた我が家ではその二冊の書籍代をお渡しすることができないことを言うと、無料で下さったのです。
早速家に帰って拝読しました。
この本の内容はここでは置いておきますが、その本を読んで、その一ヵ月後にある講演会に是非参加したいと思うにいたりました。
実際には講演会は半分夢現のために憶えていないのですが、それよりも前日より宿泊していた時に、一緒に泊まられていた日雇いで神主をされている方の言葉がそれ以後の私の信仰の柱になっていたのは間違いありません。
その言葉はこの大倭教の核心とも言えるものかと思いますが、それは、
「神様にお願い事をしたらあかんよ、神様の前ではしっかり感謝の気持ちを伝えるだけで十分。」
その深い理由は当時の私には分かりませんでした。
その理由を体得する為に今までを生きてきて、そしてこれからも生きていくのだろうと思います。
S本さんは、決して入信せよとは言いません。
逆に入信しようとする人を止めようとさえされているようです。
それは、信仰と団体の一員であることはまったく関係のないものだと言うことです。
団体の一員であるから天国への特別パスポートが与えられると言うような感じのことを言う団体はそれだけで既にまがい物であると言うことです。
全ての人間がこの地上で生きている限り、等しく眼の醒めるチャンスが与えられ、神様とのつながりが与えられているのだと言われています。
だから、感謝とつながりを忘れることなく、ひたすら人生を全うしていけばそれで十分なのだそうです。
それから忘れっぽい私は感謝とつながりを忘れないでいるために、頻繁に神社仏閣に参りつづけていました。
今でもご利益を期待したりもしていますが、それ以前にあったような、ご利益が無かったからがっかりとか、損したと言うような思いはまったくなくなりました。
それは無いのが当り前なのですから。
今日、私は5年ぶりにその地に訪れました。
前回、お渡しできなかった書籍代をお渡しする為に。
そして、現状をお話し、お礼を申し上げました。
経済的に言えば3年前には十分に渡せるようになっていたのに、ずっとほった
らかしになっていました。心の片隅にずっと残っていたのはいたのですが、何故かその気にはなりませんでした。その数千円と往復の数時間が惜しかったのかもしれません。
それが、また少し経済的に怪しくなりつつある現在、少しでも余裕のあるうちにお渡ししておこうと思うようになりました。
それは、受けた恩は返さないと因縁を積み重ねていくことになると言うことに気付かされたからです。
直接相手に返すこともあるでしょうけど、別のところに返すこともあるかもしれない。
とにかく受けっぱなしになっているものが残っていたら、何らかの形で返さないといけなくなる時が来る。
それが因果の法則だからです。
とにかく動けるうちに少しでも返していこう。
それが今の私のすべきことだと感じる今日この頃です。 |
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待ちに待った三軸修正法の研修会。
何故か赤ひげ会では三軸修正法がブーム?になっている。
当然のように私も整体の先生の会話や指導の中で、三軸修正法についての考えや姿勢の見方の影響を受けている訳で、何だか初めて聞くような感覚じゃない。
研修の前半は、三軸修正法の生い立ちや、その世界での身体の見え方についての話。
整体の先生からは、物理の用語が遠慮なしに飛び交うと聞いていたので楽しみにしていました。
大分前に、池上先生の書籍は一冊読んでいたので、大体はどう言う話が出てくるだろうかは予想していたのですが、読んでイメージするのと、実際にその著者が目の前でそのイメージを見せてくださるのとでは、やっぱり違います。
しかし、かなり理屈の部分は遠慮されていたようですね。
時間的にもあれ以上は無理かな?ちょっと物足りない。
それでも人の体を命の宿る生命組織として捉えた見方ではなく、単なる物理的な存在として眺める世界の存在と、そう言う見方が人の快適さを産み出すことを、実感できたので満足満足。
前半は、高校一年の物理の授業の復習をしているような心地よい頭の疲労を感じながら終了。
そして後半。
池上先生のご子息と言っても私より年上なのですが、その方の心の話が入ったり、前半にお話されたことを行かしての実演など。
物体間のエネルギーを蓄える「場」と言う概念。
一つのものの動きが「場」にエネルギーを渡し、そのエネルギーが別のものに受け渡されることで、修正が起こること。
精神の働きもまた「場」に投げかけられる事で、二者の間で影響し合い、それが患者の肉体に影響を及ぼすと言うこと。
全ては仮説の上の説明ではありますが、その仮説を裏付ける為の臨床があり、大きな矛盾がないからこそ、多くの人に指示を受けているこの三軸修正法。
理解が不十分で「科学」の定義をきちんと理解していない人には、胡散臭い世界に映ったり、オカルトマニアが喜んで飛びつきかねないその存在。
科学的な視点を持てない臨床家が多いこの世界において、常識的人間を自負している人には、なかなか受け入れられないであろうその説明は、何故三軸修正法がメジャーになれないのかも、この日の研修に来られていた方々の表情を見ても理解できた。
そして、これ一本では自信を持って飯を食っていけるようになるまでにどれだけ時間が掛かるかが見当もつかないのだから、これから整体師などの治療家を目指す人たちにとっては最初の選択になりようも無い。
これを安心して学べるのは、商売抜きの整体マニアか既に整体等の治療院である程度の臨床を積み、技量のレベルアップを考えているような人だ。
だからどうしても、三軸修正法は単体でメインを張る存在にはなりにくい。
その他の治療法のオプションとして扱われることが増えてしまうだろう。
ただ、三軸修正法の技量が上がるに連れて、それまでの手技を使う必要が減っていったりすることはあるだろうと思う。
何と言っても、非常にシンプルでありながら、効果があるのだから。
その為には見る力、感じる力、「場」を読み取る力が必要になる。
整体初心者の症例に合わせて型通りの施術をすると言う発想の人にはなかなか受け入れられないものでもあろう。
そう言うことを考えていると、三軸修正法とバランス活性療法は出会うべくして出会ったんだと感じる。
バランス活性療法の施術のなかに三軸の要素を入れることは非常にたやすい作業だ。それぞれが矛盾を起こさないと言うか、それぞれの領域で住み分けをしていて、お互いに補完しあうから。
実際、上手くあわせると施術の効果が非常に上がったりする。
そして、池上先生のお弟子さんの三宅先生の実演。
施術とは難しい顔をしてするものではなく、明るい顔でやっていくもんなんだな〜と感じました。
その雰囲気も「場」の中に投影されていくのだという事です。
施術とは病気を治すんじゃない、快適な状態を作り出すこと。
そんな感じのことを言われていたように思いますが、
本当にそうだと思います。
病気を持っていても明るい人はいっぱいいます。
心が明るい状態であるならば、その人の生活のクオリティは病気の有無に関わらず高いものです。
そう言う生活を応援していくのが我々の仕事なんだと再確認できた講習でした。
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